イジメは小学2年から始まった。国語で『かさこ地蔵』を班で紙芝居にする事になった時の話だ。私は班の誰かが指示してくれるのを待っていた。元々、メンバーとそれほど仲が良いわけではなかったし、自分から進んで意見が言えるタイプでもなかった。
 同じ班で当時私をイジメていた五月に、話の中で最も絵の難しいシーンを描くよう指示された私は、得意な絵で教科書そっくりの絵を描きあげる。その美しさに我ながらウットリしていた時、斜め前の席にいた五月の絵が目に入った。それは、とても雑で小学生らしい下手な絵だった。
 彼女にしてみれば、わざと難しい絵を描かせて嫌がらせのつもりだったのだろう。五月は私の絵を見るなり、今度は自分のと交換しろと言い出した。そして、無理矢理取り上げたかと思うと、名前だけ書き直して提出してしまった。私は泣きながら彼女の絵に名前を書き、担任はその事に全く気付かなかった。
 母は私に父親がいない事をひどく気にしていたが、実際はその事でイジメられた事はなく、むしろ性格や体型が原因として大きかった。
 毎日、何かしらイジメられる。
 男子に囲まれ、「オレの事、好きか?」と次々に問われ、何度も首を横に振っては、皆決まって「良かったぁ」と答える。そこから私が学んだ事は、『私に好かれた人は可哀想。けして、愛を口にしてはいけない』という深い自信喪失だった。
 登校すれば、前後の席の嫌がらせでイスが引き出せず、机を横にズラしてわずかな隙間からどうにか着席すれば、今度は「コイツを泣かす方法」とワキの下をくすぐられる。
 何もしてないのに睨まれたり、教科書やノートに『ブス・バカ・死ね』と書かれた事もあった。それも授業中に平然と行われるのだ。
 「ドブに入らないとイジメるぞ」
 そう言われ、泥だらけの姿で泣きながら下校する孫を見た時、祖母は怒りに震えたという。
 当時は祖母が度々「忍をイジメた奴はどいつだ!」と教室に怒鳴り込んで来る事があり、正直、私はそれがとても嫌だった。仕返しがどうとかではなく、イジメた側にイジメの自覚がなかったし、あとでからかわれるのが恥ずかしかった。

 この頃、今思えば心に異常が発生していたのかなと思う変化がある。