1984年、7月。33才の若さで父がこの世を去った。自殺だった。
 私・笹生忍(ささお しのぶ)は当時まだ5才で、父は死ぬ1週間程前から失踪しており、突然の連絡に私達は海へ向かった。母は、誰もが小学生と見間違えるほど巨体な私を自転車の後部座席へ座らせると、汗だくになりながら国道を走り続けた。
 市内観光名所の1つ、富津岬。東京湾にツンと突き出たそこには、展望台と遠浅の海、父の後ろ姿がある。
 母は私にその辺で遊んでるよう告げると、父と深刻そうな話を始めた。
 「帰りましょう」
 「……」
 父は無言のまま、ただ海を眺めていた。
 私はその間、海岸で貝殻を拾い集めていた。白やマーブル模様、ピンク色の貝や変わった形の貝。ビニール袋いっぱいに集まる頃には、私の体は磯の香りに包まれていた。
 袋いっぱいの貝殻に満足気分の私は、それを父に差し出し、
 「ねぇ、コレあげるからウチに帰ろう」
 そう言った私の言葉を聞いているのかいないのか、父は車の座席カバーを剥ぎ取ると、無言のままポリタンクの液体をかけ火をつけた。その何か思い詰めたような横顔と、目の前で赤々と燃える炎は幼心に怖かった。
 呆然と立ちすくむ私達を前に、父が一言、「帰ろうか」と言う。
 私は何も知らず1人無邪気で、これで全て解決したと思っていたが、実際は話の場が移動しただけで何も解決していなかった。帰宅するやいなや、2人は奥の和室で深刻そうな話をし始めたのである。
 私は何だか側にいてはいけない気がして、自分から部屋を後にした。会話が聞こえそうで聞こえない。時間だけが刻々と過ぎていく。午後8時を過ぎても話し合いは終わらず、それはまるで子供の存在を忘れているかのようだった。
 空腹に耐えかね食事を求めると、母は私と父2人分の塩むすびをこしらえ、お腹のすいていた私はそれを夢中で食べた。おかずのない物足りなさから指先の塩気をなめつくしていた時、母に動きがある。
 「今からちょっと電話してくるから、お父さんが出かけようとしたら引き止めといて!絶対だよ!!」
 わざわざ公衆電話を使うなんて、きっと私達に聞かれたくなかったのだろう。母はそれだけ言い残すと、どこかへ行ってしまった。