今夜は月が見えない。
雲の切れ目がひりひり光り、空は怒気を孕んでいる様だ。
僕はドラム缶の中でもそもそ頭を揺らした。
完全に音が消える瞬間なんて無い、空気の擦れる音、小さく何かが弾ける音、そんな音が絶え間なく続いていた。
その音の連鎖の中で、僕と香山さんは死んだように沈黙をしていた。
月の見えない夜は静かに暮らす、それが約束だった。
ドラム缶の中には以前購入したカッターナイフが転がっている。
僕は闇の中で、あえて表情を作り、憎々しい表情でそれを睨み付けた。

『雨はきっと降らない』
僕はいつかの言葉を呟いた。

指先でカッターナイフを弾くと、それは壁に跳ね返って、乾いた音を鳴らした。
その音に呼応して、香山さんがわさわさし始めた。
きっとピンクのナイロンジャンパーが擦れているのだろう。
僕はカッターナイフの切っ先をドラム缶の底に突き立てた。

僕が頭を突き上げて香山さんの様子を見ていると、緑の束ねられた尻尾がゆっくりと上がってきた。
「うるさいわねぇ、約束守りなさいよぉ」
香山さんは寂しそうな声を上げた。
これは僕の主観だ。
僕はその声を耳の裏で聞いた。
僕はどうでも良い方向を指で指差して、焚き火をしないかと提案した。
「降り注ぐ星を見ているつもりで」と付け足した。
香山さんは声を上げて笑った。
そして、艶かしい声で、「相手して欲しいのねぇ」と言った。
艶かしい声、それも僕の主観だ。
しかし僕はその声に自分勝手に癒された。
僕はドラム缶の底に一瞬引きこもり、指を噛み合わせてこの暮らしが何時までも続きますようにと願った。
僕は勝手な人間だ。
彼女の言葉が全て僕に適応している様に思える。
それはとても独り善がりで幸せな事だ。

僕が寂しい時は彼女も寂しく、僕の想いは彼女の想いとイコールであり、つまり僕は彼女であり、彼女は僕なのだ。
それがたとえ身勝手な独り善がりであれ、僕の想像の世界では僕が王様であり、誰も曲げられないのだ。