「怒らない。怒らない」

佐久間主任がクシャクシャの笑顔で「ま、そんなところも可愛いんだけどね」とポツリとこぼす。

からかわれている!

「ひどいですよ」

膨れながら、残っているフグ刺しにプスリと箸で怒りのトドメを刺す。

そんな私を優しい眼差しで見つめる佐久間主任と目が合い、フグが喉に張り付き、むせてしまう。

「大丈夫か?これ飲めよ」

差し出された水を流し込みつつ、また不意に絡んでしまった視線を慌てて振り解く。

「とっ、ところで佐久間主任はどうしてNYに行くことにしたんですか?」

「いきなり本題なんだな」

「だって、突然で……」

「ま、専務からの是非にとのテコ入れがあったって言うのもあるけど……」

どへぇ~~!!

専務取締役からの直々のお話なの?!

びっくりして腰を抜かしている私の目の前に置かれたコップにビールを注ぎながら、佐久間主任は頬杖を付く。

「俺はずっと奥田さんの後を追い駆けて来た。だから、NYに行かないことで袂(たもと)を分かちたかったんだ。だけど、ピンチになった時とか、いつもこう思ってしまうんだ。『これが奥田さんだったら、どうするだろう』『どう考えるだろう』って。呪縛のようにそこから抜けられないんだ」

「佐久間主任……」

「いい加減、超えたいんだ、奥田さんを。
仕事でも……恋愛でも」




一瞬の沈黙と佐久間主任の熱い眼差しにごくりと唾を飲む。


この沈黙、まずい。


やばいですってば。

じぃぃぃっと見つめる佐久間主任の熱い瞳を振り切るように、なんとか会話を振り絞る。


「さっ、佐久間主任はNYにはいつ発たれるんですか?」


思わず声が上ずってしまう。


「え?ああ。早ければ、来週末には」

「そんなに早く……」

「寂しい?」


寂しくないと言えば、それは嘘だ。

入社して以来、あのトレーディングルームの3人掛けのブースには、左には課長が、右には佐久間主任がいてくれた。

緊張で怖くて震えあがっていたあの頃。

でも、2人はずっと守ってくれていた。

色々なことを新人の私に教えてくれた。

だけど、奥田課長はNYに行ってしまい、今また、佐久間主任まで……。

私は零れそうになる涙をぐっと堪えると、笑顔で顔を上げる。


「そんなことありませんよ。私、応援してますから!
故郷に錦とかガンガン飾っちゃって下さい」

寂しい気持ちを笑顔の下に隠して、明るい声でエールを送る。