…狭い、病室の中。ようやく語り終えた私は、ふうっと息を吐いた。それはあたかも、そのおぞましい記憶を最後の一滴まで吐き出さんとしたかの様に自身思えた。
ふと、翔の方を見た、うつむいていた。ひどく驚かせてしまったのかもしれない。自分の彼女が、そんな過去を背負っていると分かって、驚かない男はいないだろう。

「…私が鼻をクンクンさせるのは、きっとあの日の麝香から身を守る為。
現実を忘れる事の出来るぐらいにまで、はまってしまう匂いから身を守るため。その香りで、あの日の全てをもう二度と思い出したくなかったからよ。
…あの日、麝香をかぎ過ぎたおかげで、完全にあの日の記憶が飛んでしまっていたのに…」

その時、今まで黙りこくっていた翔が、急に顔を上げて私に語り出した。

「でも、麝香は香水や線香にも使われていたりするよ。
ただ、ほぼ『人工麝香』だけれどね。それらは大丈夫なんだ。」

「?」

この時、私は翔が何を言いたいのかが全く分からなかった。