幸い案じていた熱は出なかった。


しかし休むと決めた孝輔は、ゆっくりとベッドから出てぼんやりと父が作ってくれた専用台の上に置いてあるバイオリンケースを眺めている。


するといきなり、先週聞いたコンクールの話が甦って来た。


何も大輔だけが新人戦で頑張るのではない。


まだ話してはいなかったが、孝輔も校内のバイオリンコンクールを控えていた。


その結果、上位二人は秋に東京で行われる全国大会の、コンクールに出場する権利を得ることが出来、その成績次第ではドイツへの留学という、バイオリンを習っている者にとっては夢のような話がある。


勿論、実費でいくらでも行く事は出来るが… 


毎日汗水たらして働いている父にとてもそんな事は言えない。


かしら、と言っても株式会社体制になっている野崎組の、サラリーマンかしらのような父に無理は言いたくなかった。


今でさえ、大輔に比べて自分は音楽関係の私学だから学費も馬鹿にならないし、交通費だって… 祖母・春子には中学から、土曜日に通っているバイオリン・レッスンの費用を出してもらっている。


実のところ、それすら心苦しく思っている。


母が事故死した後、水木の祖父母が泣きながら話していたのを聞いてしまった。


母は死ぬ数年前から、家のローンとして毎月父が道子の口座に入れるようにと渡していた金、20万円を使っていたのだ。


母を信用していた父は疑う事も無く働いていたと言うのに… 


もちろん道子はそんな事を気にしていないだろうが、通帳を見た春子が気付き… 祖父母が泣きながら父に謝っていた姿も見てしまった孝輔だ。


母に続いて亡くなってしまったが、印刷の仕事しかした事の無かった祖父の安雄は働ける内は、と言って毎日近くの駐車場で働いていた。