突然鳴らされたクラクションに、その青年は咄嗟に道路の右に体を寄せた。

しかしその拍子にカメラ屋の看板に足を引っ掛けてしまい、危うく転倒しそうになる。杖を支えに何とかこらえたのだが、それでも心臓の鼓動が収まるまでにはしばしの時間が必要だった。

 閉店準備をしていたカメラ屋の店主は慌てて表へ出てくると、走り去った高級車に向かって大きな罵声を浴びせ、そして振り返ってその青年に声を掛けた。

「のりくん、大丈夫かい。あの野郎、こんな狭い道で飛ばしやがって……」

「ああ、立花さん、こんばんは。大丈夫ですよ」

 その答えた青年の名前を坂下則夫という。親しみを持って近所の人々は『のりくん』と呼んでいた。

「今帰り? 随分遅くまで頑張ってるねえ」

「はい、頑張ってますよ」

 カメラ屋の店主のほうへ向けた則夫の目は閉じられたままだった。そして右手には白い杖をついている。則夫は盲目だった。それでも針灸師の資格を取り、立派に自立して生活をしている。そして──

「美里ちゃんは元気にしてる?」

「はい、元気にしてます」

 今は恋人と二人でアパートを借りて生活していた。