結局私の言い分は認められて、退院することになった。
自宅に帰った途端に再び過食嘔吐の生活に戻った。
学校では一切物を口にしなかったが、朝学校に行く前に過食嘔吐してから登校し、学校が終わったら家に帰って再び過食嘔吐。食べ物が足りなくなれば夜中何時であろうと嵐であろうと吹雪きであろうとコンビニへ向かった。
そういう生活をしていたにも関わらず、大学受験の時期がやってきて一応地元の教育大学を受験したが受かるはずがなかった。
同じ状態のままで、青森の私立大学を受験したがまたも失敗。
さすがにこれでは駄目だと思った。過食嘔吐はやめられないが、受験勉強はしようと決心して、ピアノの練習をしたり学科の勉強を習いに行くようになった。途中で入院した時期もあったが入院中も勉強は続けた。受験が近づくと、ストレスからなのか過食がひどくなり過食嘔吐しながら勉強した。あまりのひどさに父は受験は無理ではないかと考えたようだったが
「進学すれば過食嘔吐が治るかも…」環境が変われば病気も治るだろうと淡い期待が心のどこかにあった。
頑張った甲斐があって見事合格。学校の寮に入ることになった。しかし、周りはみな年下の子ばかりでその事が凄く気になった。高校を留年した時も周りは年下だったのに全然気にならなかったのに今回は周りの視線がとても気になった。
食事の時も凄く気を使った。食べ過ぎないように。吐かないように。
しかし、時間が経つにつれて、『食べたい』という気持ちが大きくなり、とうとうコンビニへ向かってしまった。
一端やってしまうと、みるみるうちに我慢していたものは崩れていった。朝食のバイキングで過食し嘔吐。周りの目なんてどうでもよくなっていた。
寮に入る前にみていた明るい希望は存在しなかったのだ。