その晩遅く、静音はとんとんと修理の家の戸を叩いた。廻りを見回したが町の方角に横たわる丘の所為で真っ暗闇である。明かりは静音の持つ提灯と雨戸の穴から見える蝋燭の火のみ。
 困窮している修理は、普段は蝋燭など使わぬ。
「静音か」
 恋い焦がれた者の足音を、修理は違えるはずもない。
 中にはいると両親の位牌の前に古びた燭台があり火が灯っている。その前に洗った手甲、脚絆。どこからか餞別で貰ったのか、新しくはないがしっかりした仕立ての茶の小袖に黒の裁っ着け袴が着物掛けに掛けてある。背にしょう長細い袋に日用品を修理は詰めていた。
 戸を閉めて土間を歩き修理の方へ近寄る。
「本当に行くのか?」
「・・・」
「御法度じゃ!皆に斬られる。ここに居ろ!」
 修理はゆっくりと静音を見た。その目は昔を懐かしむように優しい。
「・・・ここには何も無い。儂には何も無いんじゃ」
「私はどうなる・・・この静音を好きではないのか?」
 静音の言葉に修理は驚いて顔を上げた。
「お前は・・・儂の愛しい者じゃ。じゃが、もう手が届かん」
 静音は草履を脱いで畳に上がり修理に膝で詰め寄った。
「・・・私の屋敷に来て。一緒に住もう。静音の『兄』となって。皆にお前様が俺の念者と言うた・・・私がここに住んでも良いよ」