(俺に靡かないって、なんか釈然としない)

 とはいえ、今は日曜の両親攻略のためになんとか頑張ってもらわないといけない。沙也に見捨てられたら一巻の終わりだ。

 そんな祐司郎だったが、今、本気で驚いていた。
 味噌汁がうますぎる。

 沙也が差し出した椀は、確かに説明通り簡単だった。細粒だしと味噌を湯で溶かしただけだ。具もない。それなのに今まで飲んだことがないと思うくらいうまい。あまりにうまいので二度見したくらいだ。

(具がないのに)

 じっと見つめていると。沙也が首を傾げてどうしたのか尋ねてきた。

「いや、ホントにおいしいと思って」
「そうでしょ! わかってもらえてうれしいです!」
「普段、口にする味噌汁とどう違うんだ?」

 尋ねると、沙也は少し驚いたように目を見開いた。

「そう言われると、なんと答えたらいいかわからないですが……鮮度と地元で操業しているお店独特の個性、かな?」
「クラフト味噌ってこと?」
「ですです。今はネットでけっこう買えますけど、全部が全部じゃないし、その土地その土地にある個性的なものは、やっぱり普段口にすることってないですし、新鮮な感じがしますよね。大手メーカーのお味噌だっておいしいんですけど」

 にっこり大満足といった顔をする沙也は、会社とは別人のようだ。

(仕事してる顔しか見ないもんな。神南さんと私語することなかったし)

 総務課の沙也はそれほど残業することもないし、アフターワークの飲み会にもほとんど参加することはない。さらに祐司郎に向け自己アピールをすることもない沙也は、祐司郎にとって正直なところ、あぁそういう人いたね、程度の認識対象だった。だからこそ新鮮だ。

 狭いワンルームに小型とはいえ冷蔵庫を四台も並べ、そこに収集している味噌をぎっしり入れているなんて、普段なら、はあ!?と眉をひそめるだろうが、今は違った。

「沙也ちゃん」

 名を呼ぶと、途端に口を閉じ、真っ赤になる。よほど男慣れしていないのだろう。それはそれで見ていて楽しい。

「土曜は予行演習をしよう」
「予行演習?」
「そ。丸一日デートして、息を合わせよう。呼び方も言葉遣いも、今のままじゃバレるから」

 沙也が黙り込んでしまった。なにか不都合でもあるのだろうか。

「土曜、予定あるとか?」

 祐司郎は沙也の沈黙に負けることなく訪ね続ける。沙也は困ったように視線を逸らした。

「いえ、ないですけど……」
「じゃあいいだろ? 無事に終わったら、でっかい礼をするよ。そーだなぁ、味噌旅行の足をするとか」
「足?」
「車出すってこと。小回り効くし、移動中は安心して寝てたらいいし」
「お礼は……ちょっと考えさせてください」
「…………」

 今度は祐司郎が黙り込んだ。ここは飛びつくところだろうと思うのに、なぜかもう一息のところでつかみ取れない。

(俺って神南さんのタイプじゃないのかな? 赤面するし、反応も悪くないから、脈はあると思うんだけど……なんでこんなに難色を示すんだろう)

 祐司郎に対して線を引いていて、必要以上に近づかないようにしているのだろうか。だとしたら、なぜ。避けられるようなことをした覚えがない。そもそも社内では、同じHQM部所属というだけで、営業と総務、ほとんど接点がない。

 ちなみにHQM部は、正社員が約六十人、派遣社員が約二十人、計八十人という大所帯だ。

「旅行の足が嫌なら別の方法でいい。お礼の仕方はゆっくり考えてよ。それで土曜だけど、とりあえず、九時に待ち合わせしようか」
「そんなに早くですか?」
「だって互いを慣らすためのものだから、なるべく時間を取ったほうがいいだろ。まだ三日あるから、どこに行きたいか考えておいてよ。なかったら俺がコース決めるから」
「……はあ」

 気が乗らなさそうな沙也を横目に、祐司郎は立ち上がった。

「じゃあ、帰るよ。今週末はよろしく。味噌汁、うまかったよ」

 慌ててついてくる沙也に手を振り、祐司郎は部屋を後にした。
 地下鉄への道すがら、湧いてくるもやっと感の正体を考える。そして口をへの字に曲げた。

(言い寄る女はかわいいし、こっちも気分がいい。だけどつきあうのは適度な距離をキープしてくれる女だけだ。より近づこうとする女は避けてきた。神南さんはまったくそういう素振りを見せない。それが不満って、子どもかよ。女が誰でも俺に好意的ってわけじゃないのにさ)

 目的達成に向け順調に進んでいるというのに、胸中穏やかでない自分に対し、祐司郎は自虐の苦笑を向けた。

 プルプルン、とスマートフォンがメッセージの着信を知らせる。見るとラウンジのホステスからだった。内容を見るまでもなく、店に来てほしいというお誘いだ。一応確認すると、やはり思った通りだった。

「ん?」

 他にも複数着信している。啓子もそうだし、最近誘われてデートした会社の女性スタッフのものもあった。

「…………」

 いつもなら気分よく返事をするのだが。

「ごめん」

 呟くように言い、祐司郎はポケットにスマートフォンを仕舞ったのだった。


 そして、土曜日。

 結局、沙也は行きたい場所を告げることはなかった。これも祐司郎にとっては驚くことだった。今まで交際や遊びに出かけた女たちは、行きたい場所、食べたいもの、ひいてはプレゼントしてほしいものまで言ってきたからだ。

 さんざん思案し、まずは小岩菖蒲園へ行くことにした。江戸川河川敷に植えられている約五万本の花菖蒲は、今、満開を迎えているので、沙也を案内するのにちょうどいいと思った。

 その後、ランチをして、銀座あたりで明日着ていく服でもプレゼントすればいい。時間があれば映画でも観、ディナーで締めくくる。

 車で沙也を迎えに行き、そこから江戸川へ向かった。

 沙也は祐司郎がチョイスした菖蒲園が意外だったようで、てっきり映画やアミューズメント施設あたりだと思っていたらしい。

「うわぁ、すごくきれい!」

 一面の菖蒲に沙也が歓喜をあげた。

 紫が濃いもの、同じ紫でも赤みが強いもの、白と紫がまざったもの、真っ白のものと様々だ。そしてスッ鼻に通るいい香りがする。

 六月中旬、見ごろのピークを迎えたところだ。その上、今日は雨や曇りの合間の縫うように晴れ、晴天と菖蒲のコントラストが美しい。

「ホントにすっごくきれい。東京の住んでいるのに初めて来ました」
「喜んでもらえてよかったよ。チョイスした甲斐があった」

 得意のにっこりスマイルを向けると、沙也はうっすら頬を赤らめ、戸惑ったようにうつむき加減になった。

(これって響いてるってことだよな? だったらもうちょっとで落ちるか?)

 なんて考えてみるが、大事なことはそこではない。結婚を視野に入れた交際をしていると親に信じさせるだけのナチュラルな関係になることだ。沙也の態度が柔らかくなる距離まで近づき、それをキープすることだ。下手に近づきすぎて期待を抱かせ、こじれては本末転倒で、なんのために沙也に無理を頼んだかわからなくなる。

 とはいえ、沙也の味噌好きは最初こそ驚いたものの微笑ましいと思うし、今まで交際してきた女たちとはまったく違って興味深い。

 正直、彼女たちはデートできるならどこでも喜ぶだけで、花や海や山に見に出かけても、それ自体に興味を持っている感じはしなかった。

(素直というか、うぶいというか)

 スマートフォンで菖蒲を撮っている。そんな姿が初々しい。
 祐司郎はふるふるとかぶりを振った。

(今は明日に集中するんだ。成功したら、今回ばかりか今後しばらく見合いの話は言ってこなくなるんだから)

 祐司郎は気合いを入れ直し、少し距離があいてしまった沙也を追いかけたのだった。