練習中のサッカー部に顔を出しに行った宮部君をフェンス越しに眺める彼の横に並ぶ。そこから伸びる影は彼の方が随分と大きかった。

「第二ボタン渡すかな」

 中学生に指導しながらグラウンドを駆け回る宮部君を見ながら私が呟くと、

「渡すと思うよ。宮部ってそういう奴」

 足が絡まって思い切り転んだ親友の姿を見て笑いながら彼が答える。文さんが言っていた高校時代に出会った大切な仲間の中で宮部君の存在はとても大きいのだろう。その笑った横顔を見ているとそれは強く伝わってきた。

「友梨ちゃんも絶対喜ぶよ。あの子はそういう子」

「ははっ、なに真似してんの」

 彼の笑顔が私に向けられた。途端に愛おしい時間が流れる。つられて笑う私の幸せを邪魔する不安を今だけは春風が飛ばしてくれているようだった。

「でもさ、別に嘘つかなくてもよかったのにね。恥ずかしかったって言ってたけど、正直に言ってくれたらこんなことになってなかった訳だし」

「うーん、浅倉さんは宮部がなんで嘘ついたと思う?」

「なんでって、恥ずかしかったからでしょ?男のプライドみたいなやつがあったからじゃないの?」

 彼はフェンスを掴んで宮部君を追っていた。「どうかなぁ」と呟きながら彼の目はひたすらに走る宮部君を追いかける。私も同じように見てみたけれど、目が回りそうになってすぐにやめた。

「傷つけたくなかったんだよきっと。結局は間違った方向に進んだけど、たぶん宮部は牧野さんのことを想って嘘ついたんだと思う」

 その声も、親友を追いかける瞳も、今の季節によく合う暖かさがあった。私は彼の顔を見ることなく、「そっかぁ」とだけ返す。彼は「まぁでも、それが正しい選択かどうかは分からないけどね」と小さな声で言うと、今度は大きな声で「転けんなよ!」と宮部君に届くように叫んだ。

 それから暫くサッカー部の様子を眺めてから、彼が疲れたから座ろうとその場に腰を下ろした。

「俺の中学時代もこんな感じだったかなぁ」

 座ってすぐに彼が言った。グラウンドから聞こえる声の中に宮部君の声もあり、そこに馴染んでいることが伝わってくる。

「なんで今日ここに来たいって言い出したの?」

「思い出せるかなと思って。でも正直、近づくにつれて怖くなったよ。心臓がドキドキしてさ、どうしようもなく怖かった。だけど宮部にあんなこと言われたら、俺も流石に頑張るよね」

 彼は思い出し笑いをするように下を向いて笑った。それから付け加えるように「それにさ」と言葉を続ける。

「傍にいてくれるんだよね?苦しくなっても、浅倉さんが傍にいてくれるんでしょ?」

 曲がった膝に顔を乗せて私に向かって尋ねる彼は甘えているように見える。私が首を縦に動かすと、彼はまた笑顔を作った。
 フェンスを背に座り込む私たちを桜並木だけがそっと見守っていた。お互いの瞳にお互いの顔を映すと、その距離を少しずつ縮めていく。閉じかけた瞳から顔が消えていくと、視界はすぐに真っ暗になった。
 その直後、後方から微かに聞こえる足音が一歩ずつその音を大きくしていることに気づく。
 視界にもう一度彼の顔を映した私は咄嗟に立ち上がった。突然のことに驚く彼がその瞳をこちらに向けると、宮部君の声はすぐに私たちの元へ届いた。

「ごめん!これから試合することになったから先に帰ってて」

 そう言って両手を合わせた宮部君に私たちの雰囲気を感じ取る余裕はなさそうだった。最後に以前キャンセルになったダブルデートをもう一度しようと約束して、私たちは宮部君を送り出した。

 後方から照りつける西日の眩しさと、先ほどの一件とで帰りはあまり彼の顔を見ることができず、そのせいで立ち止まった彼に気づくのが遅れてしまった。振り返る形で私は彼の姿を捉えた。

 黙って俯く彼に話しかけると、「俺もあげた」と小さな声がする。話の見えない私の前で彼は片手をぎゅっと握りしめ、そしてそれを前へと突き出した。
 そっとその手を開いた彼の前に過去の自分の姿が見えるのは、この照りつける西日のせいだろうか。見えるはずのない幻覚に戸惑い、私は強く瞳を閉じた。その瞳が再び光を浴びる前に彼の口が開く。

「第二ボタン、俺もあげたんだ。小さな袋に入れて、こうやって誰かに手渡した。ずっと握りしめてたから皺になってた——」

 思い浮かぶ情景に目を開けると、突然の光は私の視界を遮った。何も見えないまま彼の言葉に耳を傾ける。

「たしかそう、薄いピンク色の袋」


 ねぇ、匠真。どうして君は私を忘れてしまったの?どうして君は飯村匠真になったの?
 東京生まれだなんて嘘は、どこから生まれたの?大切な人だと言った二人は君の本当の家族のはず。それなのにどうして、どうして君は嘘を重ねるの?


 嘘に塗れた彼に隠された真実はいったいどこにあるのだろう。
 その真実に辿り着くのは私が先か、それとも彼が先か。どちらの方が彼を傷つけないだろう。

 その日の夜、彼の祖母からの電話は私を真実へ導くようにして突然かかってきた。