この日の行先は遊園地で、気分転換には遊園地が一番だと豪語する彼は入り口からはしゃいでいた。それを見ていると子どもの頃に戻った気分になる。平日だというのに大勢の人で溢れるパーク内を見渡すと、やはり私たちと同じような大学生が多く見られた。

「やっぱり大学生が多いのかな」

「あー確かにね。ほら、あそこの人たちなんて、俺大学で見たことある気がする」

 彼が控えめに指さした方向に目をやると、若いカップルが写真を撮っていた。

「へぇ、そうなんだ。同じ学部の人?」

 私の反応に彼は無言で笑みを浮かべる。ちらちらと横目に私を見ては、くすくすと笑っている。

「え、なに?」

「いや、俺別に同じ大学だとか言ってないけど?」

「え、でも大学で見たことあるって……」

「うん、見たことある気がする(・・・・)って言った。でもやっぱ気のせいだったかも」

 彼はそう言って、また「くくく」と口を閉じたまま笑った。

「出た、意地悪」

 私は目を細めて軽く睨みつけた。そしてわざと怒ったように無言で歩き出すと、彼は慌てて追いかけてきて、「ごめんって」と必死に謝ってくる。それでも無視して歩き続けていると、私の左手を彼はぎゅっと掴んだ。

「ごめんね?怒った?」

 どうやら本当に焦っている様子の彼を見て、私はついに吹き出した。「えっ?」と戸惑う彼に、「仕返し」と言うと、

「なかなかやりますねぇ」

 と彼は安心したように息を吐き、そしてまた笑った。少し眉尻を下げて笑うその表情を見たのは初めてで、私はまた嬉しくなった。

 結局三時間ほど楽しんだ私たちはパークを出て、近くの公園までやって来た。時刻は夕方の六時を回り、外はすっかり夜の雰囲気を醸し出していた。今が夏だったら、もっと遊園地で遊んでいたかもしれない。同じ時刻でも対になる季節では時間の感じ方は違うものだ。冬のこの時間は無情にも冷たい風に乗せて解散を催促していた。

「久しぶりにあんなにはしゃいだ」

 二人掛けのベンチに背中を預けながら彼が言った。

「うん、私も。なんか子どもの頃に戻った気分だった」

 言ってしまってから気づく。記憶のない彼には言うべきではなかったかもしれない。訂正しようとする私に、

「いいよ。——代わりに聞かせてよ。浅倉さんの子どもの頃のこと」

 そう言って彼は空を見上げた。まだ出てもいない星を数えるように、瞳を左右に動かしている。横顔からは彼が今どんな表情をしているのかが分からなかったけれど、彼のことだからやっぱり笑っているのだと思う。

「前にも話したと思うけど、幼馴染がいて、その子といつも一緒にいた。小学生の頃なんてさ、毎日学校帰りにこうやって公園に来て、ブランコ乗りながらなんてことはない話しながら過ごしてた。公園なんだからもっとやることあったはずなのに、なんでかいつも同じことしてたんだよね。今考えると不思議だけど、あの頃はその時間が大切だったんだ」

 なんとなく匠真の名前は出さずに話をした。理由は説明できないけれど、出してはいけない気がした。

「へぇ、なんかいいね、そういうの。俺あんまり公園って来た覚えがないんだけど、どういう訳かよく夢に出てくるんだよね」

 体が、細胞が、反応した。だけど、相変わらず空を見上げる彼は特に変わった様子もない。
 夢なんて誰だって見るじゃないか。公園の夢だって、別に特別なことなんかじゃない。だけど彼の口からそれを聞いてしまうと、私はどうしても匠真を思い出してしまう。

『俺に君の知ってる匠真君を重ねないで』

 いつかの夢が頭の中で再生される。朧げだったはずの夢が一瞬にして蘇った。それがあまりにも鮮明すぎて夢か現実か分からなくなる。
 彼があの(・・)匠真じゃないことなんて、もう随分前から分かっていたことだ。そのはずなのに、消えかけていた匠真の影が彼に重なっていく。

「そうなんだ。じゃあもしかしたら心のどこかで公園で思いっきり遊びたいとか思ってるのかもね!今日の遊園地みたいにさ」

 そんな思いつきを口にしながら動揺する心を誤魔化すように笑ってみせた。もうこれ以上、この話をしたくない。それが本心だった。だけど彼がそんな私の気持ちを悟ることなんてできるはずなかった。一度は私の意見に賛同したものの、奥の方にあるブランコに視線を移した彼は「でもさ」と話し出す。

「たまに思うんだ。俺、本当にこのままでいいのかなって」

 そう言った彼の瞳が少しだけ光った。迷子になった子どもが両親を探しながら必死に涙を堪えているような、そんな瞳に見えた。

「過去を、無理に思い出そうとはしてこなかった。これからだって、そのつもり。俺にとって大事なのは今だから。でも——忘れちゃいけない何かを忘れてないかなって、すごく不安になる。それが場所なのか、人なのか、物なのか、そんなことは全然分からないんだけど、そう思うことがある。だから公園の夢をよく見ることも、もしかしたら俺の中にある何かが俺に気づかせようとしてるのかなとかさ。今を大切にしたいって言ったくせに、俺もそうやって過去を探したりすることあるんだよね」

 最後はいつものように「へへへ」と笑ってみせた彼は、「暗い話してごめんね」と締めくくり立ち上がった。

「お詫びに夜ご飯奢ります」

 まだベンチから立ち上がれていない私の前に立った彼が満面の笑みを浮かべている。

「いやいや、いいよそんな」

 遠慮がちにそう言って立ち上がった私を見て、「駄目」と言う彼の瞳はもう光ってはいない。

「今日はデートだから」

 照れくさそうに歩き出す彼の背中が私にはとても小さく見えた。こちらを振り返ると、その人は匠真なのではないかと、そんな錯覚を起こしてしまう。

「何食べたい?」

 笑顔で振り返った彼は、飯村匠真だった。でもそこに匠真の影がしっかりと重なって見えたのは、きっと錯覚なんかじゃない。