「俺の行きたいところに行ってもいい?」

 それは駅に到着してすぐに彼から唐突に言われた。これといったプランを用意していなかった私は返事二つで了承する。

 電車に一時間半ほど揺られると見えてくるその場所は、昔ながらの雰囲気が漂う小さな町だった。雑踏とした都心とは違って落ち着いた空気感のそこは、どことなく私が過ごしてきた場所と似ている気がする。懐かしさと初めての景色に私の心は踊った。

「東京にもこんなところがあったんだね」

 狭い駅を抜けると見えてくる長閑な田舎風景に向かって私はそう呟いた。騒がしさや放つ雰囲気は都心と大きく違うけれど、冬という同じ季節が流れるここにも冷たい風は吹いている。だけどそれは冷たい中にどことなく優しさがあって、私の体をそっと包み込み、よく来たねと歓迎してくれているようだった。

「気に入った?」

 彼の問いにコクリと頷くと、「ならよかった」と彼も嬉しそうな表情を見せた。

「なんとなく私の地元に似てる」

「あー……」

 私の呟きに彼はそう言って遠くを見つめた。何かを考えるように、思い出すように、目を細める彼の横顔が少しずつ曇っていく。その様子をただ見ていることしかできない私もここでなら許されるような気がする。
 それでも、彼が「よし行こっか」と作られたような明るい表情を作り私をエスコートする姿を見ると、踏み入れない境界線を感じて胸が締め付けられた。この町は私を受け入れ、私を許し、私を傷つける。なんとなくだけど、そんな印象を持った。

 田舎道を歩きながら、先ほど見た彼の表情ばかりが頭を巡る。何を言おうとしたのだろう。何を思い、何を感じたのだろう。彼の知らない部分は次々と私の前に現れる。それをどうにか押しのけるほどの強引さなんて、もちろん私は持ち合わせてなんかいない。
 脳内でのそんな不毛なやり取りは終わりそうになかった。だけどそれを感じ取ったかのように発せられた彼の声によって、私はやっとその暗い洞窟から抜け出すことができた。

「どこに行くか聞かないの?」

「あっ、えっ、聞いてもいいの?」

 なんとなく聞くべきではないような気がしていた私は慌てて彼に尋ねる。

「ダメって言ったら聞かないの?」

 歩く足を止めることなく意地悪そうに彼が言った。それでも口角の上がった彼の横顔を見れば、慌てる私をからかっていることなんてすぐに分かってしまう。

「そんな意地悪言う人だったっけ?」

 私も冗談まじりに少し口を尖らせて言ってやった。近づく心の距離を感じずにはいられない。こんなどこにでもある会話をしていたいと思うのが私だけではないことを祈った。

「うん。意地悪だって言うよ、浅倉さんには。俺のこと、もっと知ってほしいからさ」

 跳ねた。心臓が、皮膚を破って、跳ねた。本当にそんな感覚だった。この人はいつも私の心をかき乱す。それなのに涼しい顔をして横を歩いている。今なら言える。そう思って「私もね」と口を開くと、「着いた」と言った彼の声と重なった。

「ごめん、なにか言おうとした?」

 私の声に気づいた彼はすぐにそう聞き返した。私は慌ててかぶりを振り、「何も」と答える。
 勇気を出して何かを言おうとした瞬間(とき)、その一瞬を逃すとその勇気は元々なかったかのように消えていく。彼に伝えたかった「私もね」に続く言葉を言える時はくるだろうか。消えてしまった勇気が再び私の中に宿るまでどれくらいの時間が必要なのかも分からない。分からないから、それまでじっと待とうと思った。

 この町は私にそんなことを思わせた。