デートらしいデートもできない、人の姿ですらない相手との僅かな時間を縫っての逢瀬は、それでも幸せな時間だった。

やがて秋が終わり冬が来て、元日の未明には明香里は家族で水天宮に参拝に訪れる。
明香里は賽銭を投げ入れながら、奥に見える厨子を覗き込む。
今夜は外の方が暗く、中にある蝋燭に照らされた厨子がはっきりと見て取れた。

天之(あめの)くん……いるのかな?)

しかし目を凝らしてみたところで見えやしない、それはいつもの事だ。
そんな明香里を、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は厨子から結跏趺坐の状態で座って見ていた。

「明香里、あけましておめでとうだな」

そんな祝いの気持ちも込めて、軽く指を振るった。
途端に、境内にあるあらゆる炎が、大きく揺らめく。
拝殿内の蝋燭も、参道を照らすかがり火も、お焚き上げの炎も。
それらは倍ほどに膨れ上がり、明るさを増す。

「天之御中主神さま!?」

狐がすぐさま物陰から姿を現して声を上げる。

「はっはっは、その声、久々だな」

近頃はそばにいるときはその体を借りてばかりの天之御中主神は楽しげにいった。
拝殿の外では参列者がざわめいていた、明香里の隣の両親も声を上げる。

「きゃ、なに……!?」
「すごいな、神様の力じゃないか」

明香里は微笑む。

(間違いないね──もう、天之(あめの)くん、ダメでしょっ!)

明香里は睨み付けたが、秘密の共有が嬉しくて笑みは零れてしまう。そんな顔を見て天之御中主神も嬉しくなる、肩を揺らして笑っていた。

「なんかこう、神様のお告げみたいだな。願い事が叶うんじゃないか?」

明香里の父は呑気に言う。

「まあ、そんなに叶って欲しいお願いごとってなあに?」

美幸が聞き返す。

「うーん? 昇進したい、とか、もっと給料があがりますように、とかかな」
「そんなお願い、神様は叶えられないよ」

明香里がもっともな事を言う。

「おいおい、夢がないな」
「お父さんのその願いの方が夢がないよ」
「ははは、全くだ」

三人は笑いながら賽銭箱の前から離れた。

「明香里──またな」

その背を見送りながら、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は小さく手を振っていた。
袴田一家が社務所の前を通りかかった時、

「明香里さん」

中から声がかかった、祈祷受付の窓口に健斗が居た。
平素ならここでおみくじやお守りも扱っているが、人が多い初水天の1月5日までは参道にテントを張りそこで販売している。
だからこそ今はちょっと暇なようで、健斗は笑顔で手招きするが、明香里は近づきもせずに会釈だけする。

「──あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます、今年もよろしくね。って最近全然姿をお見かけないから、心配していましたよ?」
「ああ……はい、いえ、元気ですので」

神社の外で会っていることなどわかっているだろうが、いう必要はないだろうと思えた。

「やだ、明香里。花園さんとこの息子さんと、どういうご関係???」

美幸が嬉しそうに聞く。

「別に……なんでも」

明香里が言い濁したのに。

「明香里さんの麗しい姿をいつも拝見しております」

健斗は嬉しそうにいった。

「明香里さん、いつも学校帰りに寄ってくれているんです」
「ああ、小学生の頃からよね」

それは美幸も知るところだ。

「信心深いわね、えらいわね」
「うん……まあ」

その行動にある下心など言えるわけもない、明香里は曖昧に応える。

「今時のかたにしては珍しいと思うんですよね。だから私も気になっていて、是非、結婚を前提にお付き合いをとお願いしたら、途端に来なくなってしまわれて、後悔しています」
「まあ!」

美幸は非難めいた声を上げる。

「いえ、私が悪いんです、後先考えずに先走ってしまいました。実は意中の男性との待ち合わせにここを利用しているようで」
「ええ!?」

美幸は更に声を上げた。

「そんな話、聞いた事ないわよ! いつの間に!?」
「そんなんじゃないよ、本当に、ちょっとお話をするくらいで」

はぐらかしながらも、心の中で健斗に悪態をついていた、しれっといろいろばらされている。

「その彼も最近姿を見かけませんね、もう邪魔はしませんから、いくらでも利用してくださいね。あ、わんちゃん、元気ですか?」
「わんちゃん?」

美幸は興味津々だ。

「もう……なんでもないってば」
「彼の飼い犬のようなのですが、どうやらおふたりの橋渡しをしているようで。彼は忙しいのかな? 社会人でなかなか学生の君とは時間が合わなくて?」

明香里は大袈裟に溜息を吐いた。

「そーです」

破れかぶれに返事をする。

「社会人の彼だなんていつの間にぃ? ちょっとぉ、もっと詳しく聞かせなさいよぉ」

美幸は指で明香里の二の腕をつつきながら言った、父も気になるようでふたりの後ろでそわそわしている。

「あれれ、余計な事言っちゃったかなあ」

健斗の意地の悪い笑みに、内心舌打ちを打ちながら明香里は会釈した、これ以上関わりあってはいけないと去ろうとする明香里に、健斗はなおも声をかける。

「せっかくご両親もいますし、私の今年の目標、聞いてくれますか」
「──なんですか?」

明香里は目つきが悪くなっているのを自覚しながら聞き返した。

「君と恋人になる事」

それを聞いて、明香里の両親はまんざらではない様子で「まあ」と呟く。周囲で聞き耳を立てていた者たちも目を見開き、頬を赤らめてふたりを見比べた。
明香里は深呼吸してから答える。

「残念ですが」

明香里は思い切り不機嫌にいう。

「春には私はここを離れますから、私なんかとでは──」
「じゃあ、彼ともお別れって事?」

健斗にあっさり言われ、明香里は息を呑み、それから健斗を睨み付けた。

「……そんな事……」
「俺とは付き合えないと言うなら、彼ともでしょ。遠距離でも交際が続くというなら、俺に勝ち目がないとは思えませんね。なんなら、俺はここを棄てて君と一緒に行ってもいいし」

健斗の言葉に、美幸は「あらあら」と嬉しそうに声を上げる。

「本気ですよ。覚えておいてください」

余裕めいた笑みの健斗を明香里は無視した、勝手な言い分など聞き入れる事はできなかった。
さっさと踵を返す明香里の後を、両親はひそひそと、それでも明香里に聞こえるように話を始める。