夏休みに入り、一週間────···。
この期間も晃貴からの連絡は来ることは無くて。

自室にこもり、私は学校から出された課題をすませ。一学期の最中に一気に成績が下がったことを理由に順位を取り戻すためにひたすら勉強をしていた。


お姉ちゃんと違い、塾に行っていない私はこうして自ら教科書や参考書を開いて勉強するしかなく、


「真希?今からお母さんとスーパーに行くけど何か欲しいのある?真希も一緒に行く?」


コンコンと自室の扉をノックしてきたお姉ちゃんは、首を傾げて聞いてくる。正直私は勉強をしたかったため、「ううん無いよ。行ってらっしゃい」と笑顔で見送った。


私はあまり、家族で出かけることが好きじゃない。


心のどこかで、もう晃貴からの呼び出しは無いのではないかと思っていた。この前も様子がおかしかったし、一週間以上連絡が無い。晃貴とは3日に1回のペースで会っていたから。
もしかしたら私という“遊び”に飽きたのでは無いかと思ってたりもしてたけど。



スマホが部屋の中で鳴り響き、『着信中 穂高晃貴』の文字を見た時、そう簡単に思い通りにはならないと画面を見ながらゲンナリとした気分になった。


────じゃあ、いつでも呼び出せんな。



確か晃貴は、別れ際そんなことを言っていた···。


『今から来いよ』

そう言う晃貴は、私に用事があっても「来い」と言うのだろう。一週間以上ぶりに聞く晃貴の声は、この前と変わらなかった。


「···家?」

ポツリと聞く私に、晃貴は「そ。1時間以内な」とそのまま通話を切った。




ノートに綴られた途中の計算式を見ながら、私はこの時、なんの事を考えていたのだろう···。


リビングの机の上に、「図書館へ行ってきます」とメモを残し、家をでた。
お姉ちゃんにはスマホに『彼氏と遊びに行ってくるね』と罪悪感のある連絡をした。そうすれば彼氏が迎えに来てくれたのだろうと思うから。良に連絡をしないと思ったから。


『勝手に入れよ』と、電車に乗っている最中に晃貴から連絡が来た。いつもインターホンを鳴らし、晃貴が玄関を開けてくれるまで待っていたけれど。
今日は自分で玄関の扉を開けてもいいらしい。


「遅かったな」

晃貴は自分の部屋のソファの上に座りながら、雑誌を読んでいた。冷房によってキンキンに冷えているこの部屋は、先程まで暑い中歩いてきた私が「寒い」と思うぐらいで。


「···1時間以内だし」


一週間以上ぶりに会うからか、上手く晃貴の顔が見れなかった。


「お前、時間いつも正確だよなあ」

そう言うながら雑誌を閉じた晃貴は、爽やかな笑顔をし、「隣座れば?」と立っているままの私に言ってきて。


座ればまた、この前のような長いキスをされるのだろうか。唇が腫れるほどの···。


「お前、知ってるか?」

「···なにを?」

隣に座り、晃貴が笑う。
知ってるか?って言われても、主語が無いから分からない。何を知っているっていうの?


「その様子だと知らねぇみたいだなぁ」


だから何を?
怪訝な顔で晃貴を見ると、晃貴は馬鹿にするように笑っている。


「護衛の意味あんの?」


晃貴の言っている意味がよく分からない。


「さっきから何言ってるの···」


知ってるか?
知らねぇみたいだな
護衛の意味あんの?

その言葉の先にたどり着く答えは?


「だから山本は遊びって思われんの。分かる?真希ちゃん」


分かる?って言われても···。
まだ答えを導き出せていない。


「意味分かんない···」


晃貴の手が、私の首元に伸びてくる。そのまま髪の毛をかき分け後頭部に手を回した。


ぐっと、晃貴の方へと引き寄せられる。
「真希ちゃん、1人にならない方がいいよ。今も1人で来たんだろ?」と、また意味の分からない事を言われ···。


1人にならない方がいいって···。どうして晃貴がそれをいうの?聖くんは晃貴に狙われている私を護衛しているんでしょ?もう私は晃貴にいいようにされているのに、そういう心配は無いはず。
それなのに···。


「1人って···、呼び出したのは晃貴でしょ?」

「そうだな」

「そうだなって···、晃貴は何が言いたいの?」

「真希ちゃんの為に言ってんだけど?」


私の為?
だったらもっと詳しく教えて欲しい。
本当に意味が分からない。


「高島はやめろって山本に言っとけ」

良はやめろ?
なにを?護衛のこと?


「他のやつにしろってな」

「他のやつ···?」

「あいつは敵が多すぎる」

「敵?」

「真希ちゃん、マジでなんも知らねぇのな」


その言い方にムッとする。
何も知らない私を巻き込んでいるのは、あなた達なのに?


「仕方ねぇから、今日は送ってやる」


送ってやる?


「ねぇ、ほんと意味分からない···。晃貴は何が言いたいの?」


引き寄せられるため、もうすぐでキスが出来てしまう。


「山本は馬鹿だって言ってんだよ」

「聖くんが何をしたっていうの」

「真希ちゃんは俺のだからなあ、他のやつに取られたくないわけ」

「話かみ合ってない···」

「マジで気をつけろよ?」

「だから、なにが────···」



私の言葉は、晃貴の唇によって塞がれ遮れてしまった。


っていうか、話の続きは?

聖くんが?良がどうしたっていうの?
気をつけろって何が?
何から気をつけるの?
晃貴から気をつければいいんじゃなかったの?



この前は長い時間キスをされ続け、終わる頃には息の仕方を覚えたけれど。
久しぶりのキスはやっぱり戸惑ってしまう。


「上乗れよ」


重なっていた唇が離れ、私を見つめる晃貴が言う。

上?
上って?


場所がいまいち分かっていない私に「ここに跨げって言ってんの」と言ってくる。

ここって···、晃貴の言うそれは、晃貴の足の上で。跨げって私が?


「早く」

「え、でも、だって···」

「早く」

「こうき···」

「早くしねぇと、するけど」


するって···。ここに座れば、晃貴と行為をしなくていいの?だったら座る方が断然いいのに。晃貴の足の上に乗るなんて、まるで私が襲っているみたいな···。


まただ。
この前のキスと同じ。

私から、キスをさせようとしている気なんだ。



どうして晃貴は、こういう最低な事しか思いつかないのか。

ヤられるならば、座った方がいいと、自分自身に言い聞かし恐る恐る晃貴の足に跨ぐように座った。
やっぱり晃貴に言いなりの私は、こうして従うしかなくて。


「もっと」

腰に回った手が、私を引き寄せる。

私は恥ずかしくて下を向いたままで。


「···も、いいでしょ、重いだろうしおりていい?」

「いいよ重くて」


重くてって···。
こんなことならダイエットすれば良かったと恥ずかしくなる。


晃貴の手のひらが、腰から背中に移動していく。
そしてそのまま力を入れられ、私は晃貴に抱きしめられる形になり···。



「晃貴···」

キスをさせようとするだろうと思っていた。だけど晃貴は私を抱きしめてくる。抱きしめてくるだけで晃貴は何も言わない。何かを考えている様子で···


「···なあ、真希」


五分ほどたったとき、ゆっくりと晃貴が口を開いた。


「な、に?」

「やめてやろうか?」


やめる?何を?
晃貴の手が私の肩にかかった髪を避ける。


「もうここに来なくていい」

「え···?」


来なくていいって···。
私を抱きしめてくる晃貴の腕が強い。
それってどういう意味?
もしかして晃貴から解放されるって意味なの?



いい方向ばかり考えてしまう。
だけど今日の晃貴は訳の分からない事ばかり言う。だから私の思っているようなことは···。


「今日で最後だ」


あるらしくて。


「ほ、ほんとに···?」

「本当」

私を解放してくれるの?晃貴から?

「聖くんに···バレたの?」

「バレてねぇよ」

「じゃ、どうして···、写真をばら撒くつもりなの···?」

「しねぇよ」

「···も、来なくていいの?」

「来なくていい」


「···嘘ついてない?」

「真希」

「なに···」


腕の力を緩めた晃貴は、そっと私の体を離した。そして私の目を見つめてくる。いつも笑っている晃貴は笑っていなくて。


「もともと無ェんだよ」

「無い?」

「写真なんか」


写真?ない?それって···


「え?···あたしの?···晃貴に撮られた写真?」


ちょっと待って。
意味が分からない。


「そう」


だって私、あの写真をばら撒くって言われて、晃貴に脅されて何回も痛い思いをして犯されて···。
その写真が無いって?

え?でも、聖くんには送ったんでしょ···?



「嫌がる女の裸の写真なんか、いつまでも取っとく趣味は無ェんだよ」

私の裸の写真···。


「山本に送ったあとすぐに消した」

消した···。消していた。
ということは、この世に私の裸の写真はもう無くて。


「揉み消したお前にムカついて、脅しただけだ」

私にムカついて···、嘘をついていた晃貴。


「真希」

私は何のために晃貴に抱かれて···。


「悪かった」

放心状態の私は、何も言葉を発することができなくて。



「殴って気がすむなら、殴っていい」

本当は写真をすぐ消していた晃貴は、揉み消した私にムカついた。本当ならもう火種になっていた筈だから。

イラついた晃貴は私に嘘の脅しをし、避妊もせずに抱き···。あんなにもイヤな思いをさせられて。


写真が無いってことは、もうお姉ちゃんにバレることは無くて。



「···最低······」

「そうだな」

「キライ···」

「·········」

「晃貴なんか大っ嫌い······ッ」

「真希」



「大っ嫌い!!」

晃貴の膝に座りながら、私は大声を出した。
そのまま晃貴をグッと押し、そこから離れた私は自分の鞄を無造作に掴み部屋を出ようと足を進ませる。



「真希っ」

扉を開けた瞬間、ムワっとした廊下の熱気が体を包んで。



「送るって言っただろ」

最低最悪の人間が、意味の分からない事を私の腕を掴みながら言う。



「いらない!」

「真希!」

「もう放ってほいてよ!!」

「マジで悪かった」

「2度と私に関わらないでッ」

「真希!」


今日に限って送るって何?
情けのつもり?

ムカつく。本当に馬鹿にしてる。
私は晃貴を睨みつけた。



「絶対に1人になるなっ」

「意味分かんないし!」

「聞けよ!」

「うるさいっ、もう晃貴の言うことなんか聞かないから!!」

「真希、聞けって!」


腕を掴む晃貴の力が強くなり、私は痛みのせいで顔を顰めた。


「出回ってんだよ」

「もう、痛いからっ」

「お前の写真が清光で出回ってる」

「はあ?いきなり何っ···」


清光?
清光って晃貴の行っている高校名···。




「真希、お前、高島の女って噂が流れてる。写真が出回ってんだよ」

「高島って···、良?」


いきなりの晃貴の発言に、思考がとまる。
どういう事?
良の彼女?
写真···?


「お前、高島に護衛されてるだろ」

「······」

されてるけど、それは晃貴から守る為で。



「清光ではそれが違う噂で流れてる」

「···違う?」

「毎日送り迎えされてるお前を、高島の女だって認識されてる」

「意味分かんない···」

「真希、聞け」

「なに···」

「清光はお前を狙ってる。高島は敵が多い。清光も例外じゃない」

「清光って、晃貴もそうじゃない」

「俺以外の奴らだ」



晃貴以外の清光高校の生徒?
その人が私を狙ってる?
良の女という噂のせいで?


「信じられない」

「真希」


晃貴の言っていることは本当?
分からない。
さっきまで私を騙していた晃貴。

そんな晃貴を信じろと?


「···また私を脅すの?」

「そうじゃねぇ」

「晃貴はそんなに嫌がる私を見たい?」



ここの部屋に入ってきて、晃貴がわけのわからない事を言っていたのはこの事だったんだ。

護衛できてないとか

意味の分からないことばっか。

護衛している事があだとなり、逆に良の女として狙われるなんてこと。



でもそれが、晃貴の策略だったら?
晃貴の演技だったら?


「もう離して···」

「真希」

「信じないから」

「嘘じゃねぇ」

「信じられない···」

「俺はもうお前に嘘をつかねぇ」

「······」



晃貴は笑ってない。
いつも爽やかに笑うのに。


「さっき、もう来なくていいって言ったのは、お前を1人にさせないためだ」


晃貴からの解放······。


「1人で出歩くな」

「·········」

「高島から違うやつに変えてもらえ。高島の女はデマだっつーこと、清光に分からせろ」




「まだ山本達はこのことを知らない」


聖くんは知らない···。
だったら良も···。
晃貴の言ってることが本当なら、晃貴は私を庇ってるということ。


「今ならまだ間に合う」

「···信じない······」

「真希!」

「もう帰る」

「待ってろ、送るから」

「いらない!!」

「真希!!」

「晃貴の事なんかもう信じられない!!」

「······」

「大っ嫌い!!」

「······」

「晃貴なんか······、大っ嫌い···!!」

「···真希」



晃貴の手から逃れるように体を暴れさせば、もうそんなに力は入れていなかったのかあっさり離れて。


「何度も言わせんな、1人になるな」

「うるさい···」


玄関に行き、靴を履く。


「俺がイヤなんだろ···、じゃあタクシーで帰れ。今呼ぶから」

「うるさい」

「真希」

「もう名前を呼ばないで!! 呼ばれたくない!!」

私は晃貴に背中を向けながら叫ぶ。


「······なんかあったらすぐ電話しろ、山本より俺の方が早く動ける」

玄関の扉を開ける時、そんな声が聞こえて。



「もう二度と関わらないで···」



私はそうつぶやき、玄関の扉をしめた。



夏休みが終わるまで、晃貴からの連絡は無かった。


夏休みはほとんど家で過ごした。友達からも『遊ばない?』と連絡が来たけど『用事がある』と嘘をついた。用事があったわけじゃない···。

家族で出かけようと言われた時も、「勉強したいから」と出来るだけ家から出ないようにした。



別に晃貴から言われたからってわけじゃない。成績が下がったから家で勉強してるんだと、自分に言い聞かせた。



あの日、晃貴の住むマンションから家に帰る時も、タクシーで帰った理由は気分が優れないからと、思い込ませて。



夏休み後半にはもうスマホの着信は全く鳴らなくなり、高校一年生の長い長い夏休みは終わった。