放課後の美術室の片隅で、私は今日も「彼」と向かい合っている。
 もう何度も、何日もこうしていると言うのに、私の胸は始終高鳴りっぱなしだ。見つめているだけで顔が赤くなってくる。話し掛けなどしようものなら、そのまま卒倒してしまいそうな気がする。
 口下手で上がり症の自分が恨めしいのは、こんな時だ。
 対する「彼」はと言うと、こちらはいつだって変わらない仏頂面で、私の顔を斜めに見下ろしている。その表情には一種の余裕すらあって、それがまた憎々しい。
 気付いているのかいないのか――無論、気付いていないに決まっているけど、「彼」はいつだって私の気持ちには無関心だ。
 勿論、それが当たり前なのだ。
 下手な関心など持たれたら、多分、私の方が焦ってしまうだろう。
 はっきり言って、私は超恋愛初心者だ。経験値不足もいいところなのだ。
 そんなことを考えながら、私はそっと手を伸ばして「彼」の髪に触れてみる。
 短く整えられた髪は優しい栗色をしている。「彼」の中で一番好きな部分だ。染めているわけではなく、地毛らしい。そう聞いた時はちょっと嬉しかった。
 髪の影から伸びるのは眼鏡の蔓。すらりと通った鼻梁に、軽く収まるそのフレームは細い。
 硝子を一枚隔てた向こう側にあるのは、こちらも少し色素の薄い瞳だ。
 意外に睫が長い。瞼はよく見たら二重だった。なんだか新鮮な驚きがある。
 続けて、そのまま頬を撫でる。
 年上の男性らしく、下顎へ向かう骨のラインは思春期の女の子である私の物とは大分違う。
 引き結んだ気難しそうな唇は肉付きが薄い。そこに笑みの類が浮かんだところを、私は一度も見たことがない。と言うより、見たことのある人間がいるのだろうか。学校中探しても難しい気がする。
 いつだって、この唇は真面目一辺倒の言葉しか吐かない。
 女心なんて欠片も分かっていない、無骨で低い声。私が欲しい言葉なんて絶対に言ってくれないと分かっていても、いつだってその声に聞き惚れてしまう。
 すぐ近くにある、淡い色の唇。
 どきり、と心臓が跳ねて私の視線はそこに釘付けになる。
 そっと顔を近づける。「彼」は動かない。

 あと十センチ。五センチ、三センチ、二、一。