すっかり水滴の流れ落ちたグラスに口を
つける。氷で薄まった炭酸が軽く喉を刺激
して、するりと通り過ぎた。

 壁に背を預けるようにして、カウンター席
から店の入り口を眺める。



-----扉はピクリとも動かない。



 俺は肩で大きく息をついた。時計の針はすで
に12時を回っている。こんな遅くに、彼女が
店を訪れることは、まず、ないだろう。

 寝不足で痛む目を閉じて、俺はこめかみを
指で押さえた。

 あの夜から2週間。
 毎晩、この店に足を運び、俺は彼女を待って
いた。

 「週に1度か2度は、来るかなぁ」

 髭をさすりながらそう言ったマスターの言葉
を信じるなら、俺は彼女に避けられているの
だろう。閉じた瞼の裏に、彼女の顔が浮かぶ。
 さようなら、と、冷たく言い放った彼女の声
が耳に蘇って、俺は小さく首を振った。

 もう、この店に来ないつもりだろうか?
 いつまで待っても、会えないのだろうか?
 もう二度と?

 席を立ってレジに向かう。
 いつものようにレジを打つマスターに軽く
手招きをすると、彼は怪訝な顔をして見せた。

 それでも、レジ越しに身を寄せてくれる。
 そのマスターのカマーベストのポケットに、
俺は折りたたんだ諭吉を1枚押し込んだ。

 途端に彼は眉を寄せ、首を振る。

 「恭さん、こういうのは不味いよ。受け
取れないよ」

 「そう言わずに、取っといてよ。でさ、俺が
この店に通ってること、彼女に黙ってて欲しい
んだ」

 唇に人差し指をあてて“共犯者”の笑みを浮か
べる。マスターは、やれやれ、と言わんばかり
に肩を竦めると、ちら、と俺の顔を覗いた。

 「やめといた方がいいと思うけどね。彼女は」

 チン、と機械音をさせたレジのトレイから釣銭
を手にして、諭すような眼差しを向ける。
 俺が惚けたような顔をして肩を竦めると、マス
ターは察したように口を噤んだ。

 「逃げられると追いたくなる、っていうのは、
男の本能かも知れないな。迷惑をかけるつもり
はないよ。純粋に、この店が気に入ってるのも
あるんだ」

 おそらく、彼なりの好意で忠告してくれたの
だろう。俺は素直に受け止めて、目を細めた。