その日、僕はいつもと同じ帰り道を、足早に
歩いていた。ちら、と見上げた空は、今にも
泣きだしそうな梅雨空だ。

 駅からの道筋にある、寂れた商店街に足を
進める。人影の疎らなタイル張りの通りを、
オレンジ色の光が所々明るく照らしている。
 その道の途中で、僕は不意に立ち止まった。
 いつも立ち寄る小さな花屋のシャッターは
硬く閉じられていて、「本日休業」の文字が、
広告らしき紙の裏に乱雑に書かれていた。

 湿気に濡れた風が、撫でるように前髪を揺ら
す。トレンチコートのポケットに両手を入れ、
もう一度見上げた空は、少しの間、雨を落と
さずに待っていてくれそうだった。

 僕は、何とはなしに、帰り道とは全く別の
脇道を歩き出した。今まで歩いたことのない
その道は、さらに人の気配を隠してシンと
静まり返っている。
 とても、目的の店は見つかりそうになかっ
た。それでも、時折、空を気にしながら、
僕はその細い道を進んでいった。





 たった一人の身内である母が他界したのは、
まだ、八重桜が公園の片隅に残る、春の終わ
りの事だった。

 母と子、ふたりきりの家族だった。

 その母とも、高校卒業と同時に家を出て
以来、年に1度、顔を合わせるだけになって
いた。

 ずっと、離れて暮らしていたからだろうか?
 母の存在は、僕の中で希薄なものになって
いた。父ではない別の男と、母が暮らし始め
たことも、そうなってしまった原因のひとつ
なのだと、今になって思う。
 けれど、ただ一人の母の死に涙を流せな
かった自分を、僕はあの日からずっと責めて
いた。
 
 部屋の低い洋ダンスの上に、至極小さな
仏壇を買ったのは、つい、最近のことで……
 その時から、僕は花を買うようになった。

 流せなかった涙の代わりに備える花々が、
仏壇の周囲をあっという間に埋めていった。


 いつしか、歩いてきた道のその先に大通り
が見えて、僕はピタリと足を止めた。