「ど、どうしたんですか!?」

足を引きずりながら出勤すると、秘書課のレディたちが一斉に私を取り囲んだ。

「転んだ」
「転んだ!?」

自分が悪いのに、不機嫌に答えてしまう。いや、不機嫌なんかじゃなくて、やる気というか何もみなぎって来ないのだ。エナジードリンクでもこの状態は救えないと思う。
寒いのに、くじいた方の足は裸足のサンダル履き。もう片方はフラットシューズを履いてきた。それでも頑張って出勤すると、朝の満員電車で足を踏まれて、声にならない声で叫んだ。

「ここまでして何の意味があるの? 私じゃなくてもいいし、誰でも秘書は出来るじゃない」

投げやりな言葉に涙が出た。

「新聞やります」

佐藤さんが言ってくれ、長嶋さんは私の指示に従いながら社長のコーヒーの準備をしてくれた。
社長室前デスクに行く時は、神原さんが私のバッグを持って、私を支えてくれた。神原さんは華奢な子なのに、こんな大女を支えてくれてありがとう。

「なんでも指示してくださいね」
「ありがとう、助かるわ」

長嶋さんが淹れたコーヒーと新聞を持って、社長室のドアをノックすると、「はい」と返事があって、中に入る。
いつも通り、パソコンから目を離さずにいる社長がいた。
コーヒーをこぼさないように歩いて、社長の前に置く。

「おはようございます。新聞とコーヒーでございます」
「ありがとう」

そこでふと顔をあげた社長が、首を捻った。

「何だか、身長が低くなった気がするが」
「はい、靴を低くしただけです」
「そうか」

気付いてくれたことは嬉しかったけど、朝から気分があがらない私は、いつまでも解決しないあの夜のことと、知らんふりをする社長、彼氏が出来なくて枯れて行く自分。一番言われたくない身長のことを言われ、周りは妻になって幸せそうなのに、料理や片付けもまともに出来ない自分が、急に情けなくなった。自分を否定する言葉ならいくらでも出てきた。ついには自分でも信じられない言葉を発していた。

「突然ですがわたくし、水越沙耶は会社を辞めさせていただきます」

もうだめだ、おしまい。
女の腰かけだと思われたくなくて、がむしゃらに仕事をし、誇りをもって秘書をしていたのに、自分から汚してしまったし、もう社長とは離れたい。寂しくて人恋しくて、押しつぶされそうな毎日が本当に悲しい。
酒や買い物では埋められない寂しさが、私の心を占めていた。立ち直れない私は、口からそんな言葉が出ていた。辞めると言い続けていたときは、実行に移すことはなかったが、何も考えずに口から出てしまったということは、限界だったということだ。私は、自分を労わることを忘れてしまっていたようだ。
一生をかけて、尽くすと決めた男に向かって言ってしまった。