ビルの壁に強い西日が当たり、その灰色に暗い影を差しつつも濃い橙色が夏の気配を感じさせる。

ごちゃごちゃとしたコンクリートジャングルの中、そこかしこを囲む人工物が照り返す熱にうっすら浮かんだ汗で前髪を張りつかせながらも、少女は女と繋いだ手を半ば強引に引っ張るようにしながら喧騒の中を歩いていた。

ビル風がびゅうびゅうと吹き、少女のワンピースをはためかせ、さらには中のシミーズまでちらりと覗かせている。巨人のうめき声のようなその風は、道行く人々を心地よさよりも生温く気だるい心持にさせる。

「そんなに急ぐと転んでしまうよ」

女に諭されながらも、少女はその歩みを止めることはなかった。

少女は、まるで橙色をした飴玉が溶けていくかのような夕日を見つめる。そうすると必ず、胸がとくとくと踊るようなむず痒い感覚になるのだ。その感覚を早く忘れてしまいたくて、少女は帰路を急いだ。

この感情をなんと呼ぶのか少女には分からなかった。

しかしそれは、触れられない何かが目の前から消えてしまわないようにただひたすら見張り続けているような、途方のなさを感じずにはいられないのだ。

街路樹からは暑さとむずがゆさを助長させる蝉の声がうるさい。

ジワジワ、ジワジワと、焦燥を掻き立てるかのようにそれらは短い命を燃やして鳴き声を上げていた。

「あたし……早くおうちに帰りたい」

幼い少女が母親に駄々をこねる。どこにでもある日常の風景だ。少女の挙動一つ一つを、女は幸せそうに笑みを浮かべて見守っている。





ふと、少女は溶けていく夕日の中に、一際目を引く強い光を見つけた。手を顔の前にかざし、思わず急いでいた足を止める。

きらりと輝くそれに一瞬目を細め、けれど好奇心が勝り少女はそれを目で追った。周りの人々は皆それに気が付かず、下ばかりみて足早に人混みに見えなくなっていく。手を繋いでいた女さえ、それが降ってきたことには気付いていないようだった。

その光は街路樹の葉の中に吸い込まれ、しかし勢いをやや落としながらも地上へと落下した。街路樹の根元のコンクリートが除かれた部分に、それは留まった。

少女はすぐさまそちらに向かいしゃがみ込む。そしてそれを拾い上げる。

それは何の変哲もない、シルバーの指輪だった。特に装飾が施されているわけでもなく、シンプルなデザインのものだ。

「ねぇこれ、見て。きれい」

少女は指輪を掴むと、いつの間にか手が離れていた女の方に振り返り土の付いた手でそれを見せた。少女の手にはもちろんのこと、痩せた女の細い指にもサイズは大きく感じる。

女は少しだけ驚いた顔をして、それからにこりと笑うと、指輪を持ち上げた時に少女の手に着いた土を払ってやった。

「落とした人が探しているかもしれないね。元のところに置いておくか、警察に届けるか……」

「いやっ、これはあたしの! あたしが見つけたの!」

少女は女の提案を突っぱねた。暫し困った顔で、そのうちに諦めて、そして再び指輪を少女の掌に乗せる。

「……じゃあきっと、空を飛んでいた天使さんが落としてしまったんだよ。天使さんに出会ったら、いつか必ず返しておいで」

女のその言葉に、少女はようやく満面の笑みで頷いた。西日に感じた途方のないむずがゆさは、この一瞬だけ忘れることができた。



強い西日、ぬるいビル風、人々の喧騒、蝉しぐれ─────。



時々、少女は妙にこの日の断片を思い出すことがあるのだ。