郊外の広大な敷地に屋敷はあった。周辺の村も、麦畑も、皆この舘の主、グレイ伯の支配下にある。巨大な屋敷はノルマン様式の重厚な石造りで、周囲を深い森が囲んでいた。マックスは車を玄関前に乗り付けた。ミラは軽く身震いする。
「何だ、屋敷の迫力に気圧されたか? 俺達は仕事で来たんだ。招待客っていう訳じゃない。普段通りにやれば良いだけさ」
マックスはそう言うと車を降りた。屋敷の車番がすぐさま駆け寄る。
「お客様、失礼ですがお車のキーを……」
「いや、すまないが車はそのままにしておいてくれ」
マックスは警察手帳を見せた。
「……畏まりました」
老執事が玄関のドアの前で二人を出迎えた。

「どういった御用件で?」
黒いスーツに灰色の髪を後ろに撫で付けた、賢そうなヘイゼルの瞳をした執事は慇懃に訊ねた。
「我々は警察だ。この屋敷のメイドの件で、母親から捜査の依頼があったので来たんだ。先ずは簡単な質問をさせてくれ」
「……旦那様は現在就寝中でございます。いくら警察の方とは言え、事前に連絡も無しにやって来られては迷惑でございます。どうかお引き取りを」
執事は礼をすると、二人を追い返そうとした。
「ちょっと待ってくれ。こちらは正式な礼状もあるんだぞ。こんな風に誤魔化されたら、なおの事舘の主への嫌疑が深まるぞ。何でも無いなら入れてくれ」
執事はしばらく黙っていたが、諦めたように口を開いた。
「……分かりました。こちらへどうぞ」
執事は渋々二人をホールへ引き入れた。

 ホールへ入った二人は思わず溜め息をついた。白い円柱に尖塔ヴォールトが連結して、高い天井を支えている。ヴォールトと天井には美しい紋様が施され、空間を圧倒的な美で支配していた。中央に大きな階段が設えてあり、青い絨毯と共に二階へと続いている。壁際に巨大な花瓶が立っており、色とりどりの花が活けてあった。アフロディーテと思われる大理石の彫刻が、妖艶な裸体を曝している。
「想像していたより、凄いお屋敷ね」
「まあな。だが屋敷が素晴らしいからと言って、家主まで素晴らしいとは限らんぞ」
「……こちらへ」
執事に促されて二人は客間へと通された。こちらも素晴らしい部屋だった。淡いブルーの壁に美しい風景画が幾つも飾られている。ゴブラン織りの華やかなソファーが大理石のテーブルの回りに並んでいた。
「お茶をお持ち致しますから、しばらくここでお待ちくださいませ」
執事は礼をすると部屋を出ていった。

「こんな屋敷に住んでいるって、どんな気分かしら?」
ローラが絵画を眺めながら呟いた。
「そりゃあ、快適だろうさ。面倒な事は全部召使いがやってくれるんだしな」
「まるでお伽噺話の世界ね」
「だが、長い事こんな暮らしをしていれば、それが普通になって、感動も何も無くなるのかも知れないぜ」
「そうかしら?」
「昔から良くあるだろう。貴族ってのは、最盛を極めた後、堕落して悪に染まったりするものさ。貧困の結果犯罪に手を染めるのとは訳が違うんだからな」
「そうね……」
ローラは写真の伯爵の姿を思い出していた。確かに全き善人という風情では無かった。でも威厳があり、立派そうな面構えだったわ……。ローラがそう答えようとした時、執事が戻って来た。

「お待たせ致しました」
ティーポットとカップを乗せたワゴンを、執事は部屋の隅に停めた。非の打ち所の無い丁重な手つきで、紅茶をカップへ注いでいく。アールグレイの高雅な香りが、ただでさえ優雅な部屋を更に格調高く満たしていった。二人は大人しくソファーに座った。
「どうぞ」
「ありがとう」
二人の前のテーブルに紅茶を入れたカップが置かれたが、二人は口を付けなかった。
「それで……改めてお訊き致しますが、どういった捜査で?」
執事は座らずに二人の向かいの壁の前に立った。その美しい立ち姿だけで、長年の執務に磨かれて来た有能な執事である事が窺えた。
「先刻も言いましたが、この屋敷にマリアン・ヤングというメイドが居ますね? 一週間ほど前の事です。彼女の母親から訴えがあったのです。つまり、いつも娘は休暇には実家へ帰って来るのに、今回は帰って来なかった、と。こちらにその旨連絡したら、忙しいから帰れない、と言われたと。母親はそれはおかしい、毎回休暇日には帰省していたのに何かあったのではないか? と疑っています」
マックスは嫌疑の詳細を淀みなく伝えた。
「左様で。確かにマリアンというメイドがおります。実は一週間前は当屋敷で集会がございまして」
「集会?」
「はい。旦那様の遠来の御一族やら、御友人やらがお泊まりになられて、晩餐会を催しました。その準備やお客様のお世話で、当屋敷はてんてこ舞いの忙しさだったのです。何しろ皆やんごとなき方々ですからな。抜かり無く歓迎の意を表すのに、旦那様からくれぐれもよろしく、と頼まれておりました。当然メイドも休みなく働いておりましたよ」
執事はにこやかに答えた。
「その集会というのは?」
「簡単に申せば御一族の懇談会です。普段はお互い中々お会いになれませぬ故、盛大に催すのです」
「そうですか……。そのメイド、マリアンに会ってみたいが」
「ええ。ではこちらに呼びましょう」
執事はそう告げると、呼び紐を引いた。