患畜の診察を終えた海知先生が、ケアステに戻ってきた。

「またですよ、時代といえば時代ですがね」

 椅子に座っている泉田先生が、海知先生の少しイラってしている顔を見上げる。

「どうせ、またオーナーから、うちのポチなら傷に粗塩すり込んどけば治るじゃろって言われたんでしょ」

「どうせ、またって、そんな昔話のお爺さんみたいなオーナーいません」

「それじゃあ、うちのチロに煎じろって、得体の知れない薬草みたいなの要求された?」

「時代といえば時代と言いましたが、いつの時代の治療法なんだか」
 大きなため息をついた海知先生が、バサッと椅子に深く腰かける。

「数々の症例から、病気についてわかりやすく説明したのに、ネットではどうたら、犬友から聞いてどうたら、そんなことばっか言って」
 
「それなら動物病院にこなきゃいいのにね、私たちのいる意味は? 信頼してもらわないと、どんな結果だろうと、面倒くさいことになるね」

「まったくです。いくら、どんなに丁寧に説明しても、メディアやネットや知人情報には敵いません」
「埒が明かないね」

「それに、『ここに通ってる犬友の中内さんが、この薬が効いたっていうから、うちの子にもちょうだい』ですって」

「それで海知くんは、なんて答えたの?」

「『あなたの愛犬は、犬友の中内さんちの愛犬ではないですので、それ効きませんよ』と、お伝えしました」

「やるねえ、海知くん。Aの犬に効いたからって、Bの犬に効くとはかぎらないよ」
 泉田先生がにやけた。

「ですので、『引きつづき、命に係わる事態を見逃さない努力はします』とお伝えしました、丁寧に」

 動物のことを想えば、素人の聞きかじりほど恐ろしいものはないし、第一、獣医としてのプライドが許さないでしょう。

 この先生しか頼れないくらいに思って、信頼して患畜をあずけてくれないと、向き合ってあげられないよ。

「我慢の玄界灘」
「限界だな。ですか」
「真冬は風波荒い」
「それ玄界灘の方です」
「そっか、それにしても、よくおとなの対応したね」

 ふだんから、イライラすることなく泉田先生の相手をしてあげているんだもん、海知先生はおとなだよ。

「海知くん、偉い」
「ありがとうございます、棒読みで褒められても嬉しいです」

「上手な演技できるよ。まだ、私、本気出してないから」
 子どもかよ。

「ねえ、補液、用意して」
「はい」
 診察途中の院長からの指示で、補液を用意して、診察室の院長に渡した。
 
 美丘さんが問診した子だ。

 ちらっと見えた白地に黒ぶちの猫は、ガリガリに痩せ衰えて老猫なのかな、毛づやがなかった。