海知先生は、相変わらずケアステにいる。

 最近は、半年後に発表予定のテーマに備え、症例の臨床データ集めをしていて、解析もおこなう日々で大忙し。

 私が入院室で患畜の世話をしたり、美丘さんの助手をしているときは、基本的に海知先生は自由に動ける。

 今みたいに、少しでも空き時間があると、勉強をしていたり、文献を読んでいたりもする。
 ふだん、ふざけているのに。

 なんて言ったら叱られるかな、ごめんなさい、海知先生。

 作業中や勉強中や読書中は、話しかけるのをためらうほど集中していて別人みたい。

 だから頃合いを見て、コーヒーを入れるくらいで、あとは近寄らないようにしている。

「お疲れ様です、コーヒーどうそ」
「ありがとう、ちょうど欲しかった」

 ひとときだけ目と目が合ったと思ったら、すぐに海知先生は文献に目を落とした。

「失礼します」
 くるりと静かに踵を返すと、「砂糖抜きミルクを覚えててくれたんだな、嬉しいよ」って。

 知っててもらえた嬉しさと、知られてた気恥ずかしさで軽く頷いて、足早にケアステを後にした。

 嬉しくて嬉しくて、にやにやが止まらない!
 どうしよう、声を上げて喜びたい、なんなのもう、まいっちゃう。

「星川さん、どうしたの? 嬉しそうな顔して」
 今にも、口もとが笑いそうだった美丘さんが吹き出した。

「調剤いっしょにお願い。柴犬の力丸、今回も四十日分」
「はい、喜んで」

 われながら単純だな。海知先生が喜んでくれたことが、こんなにも嬉しい。

「力丸ってね、子犬のときは、それはそれは人懐っこかったの。愛嬌を振りまいたり、陽気で洋犬みたいな子だったの」

 カルテを見ながら計算機を指で弾く顔は、懐かしそうに目を細めて微笑んでいる。

「それが今はね、びっくりするくらい素っ気ない態度になっちゃったから、動物看護師としては寂しい」

「クールで御主人様命って感じですか?」

「本当にそうよ、私たちを見ても、どこのどなたさま? って顔して無関心」
 美丘さんの苦笑いに、思わず私の頬もひきつりそう。

「柴犬のことは、タップのときに海知先生に教わった通りですね」
 あのとき、私を守ってくれて、かっこよかったな。

「タップも、なかなか頑固でクールよね。でも、そこが誇り高き日本犬のかっこいいところなのよね。人に依存することなく、独立心が強くてね」