「竜君、おはよう」
 昨日の夜は熱帯夜でなかなか寝つけずにいた竜は、朝の挨拶に「うーん」と唸り声で返事をした。寝汗でベタベタして気持ち悪いので早く着替えたいのだが、眠気が勝って布団に顔を擦り付ける。目を開けると、春希がベッドの側に座って竜の顔を覗き込んでいた。
「あれ?春希がいる」
 寝ぼけながらどうして春希がいるのだろう?と、ぼーっと考えていると、春希は怪訝な顔をした。
「今日、買い物に付き合って。って竜君が言っていたんだよ?」
 今日が稜輔の誕生日なのでプレゼントを買いたいと思い、春希に一緒に来てくれと頼んだことを思い出した。毎年誕生日プレゼントをあげているわけではないが、今年は夏休みに短期バイトをすることができたのでプレゼントを贈ろうという気になったのだ。
「そうだったな。すぐ用意するから待ってて」
「うん」
 春希はその場に正座をして言われた通り大人しく待っている。
「あの、着替えるよ?」
 着替えるので部屋の外に出てほしいと言えず遠回しに言うと、春希はハッとして「ごめんね」と急いで出て行った。
 身支度を終えてリビングに入ると、稜輔は新聞を読み千秋はテレビを見ていた。春希の姿が見えない。稜輔が竜に気づき、キョロキョロしている様子を見て「どうしたの?」と聞いた。
「なんでもない。ちょっと出かけてくるね」
 家を出ると玄関先で春希が待っていた。まだ朝とはいえ日差しが強いのに何故外で待っているのだろう。
「部屋の中で待ってればいいのに」
「なんとなく」
「ふーん?まぁいいや。とりあえず行こう」
 近くのショッピングモールは駅からバスに乗って十分程度。特に大きくはないが、目当ての物がなくて困ることはない。週末なので家族連れが多く賑わっていた。
「なにがいいかな?」
 食べ物だとなんだか味気ない気がするし、嗜好品と言っても、酒も煙草も嗜んでいる様子もない。服も特にこだわりがないらしい。趣味は読書だが、本を読まない竜にとってはどんなものがいいのかさっぱり分からない。
「仕事で使う物は?ネクタイとか」
「なんか父の日みたいだな」
「ハンカチとか」
「うーん」
 春希が提案してくれるが、しっくりこなくて悩む竜。とりあえず紳士服の店に行ってみると「男性へおすすめのプレゼント」と書かれたチラシが置いてあったので春希が読み上げる。
「下着、靴下」
「それプレゼントするのは彼女じゃない?」
「腕時計」
「予算で買うとしょぼいんだよな」
 お店のおすすめを読み上げてもしっくりこない様子の竜に春希は苦笑いをして「店内を見て回ろう」と竜の服を引っ張った。
「稜輔さんならなんでも喜んでくれるよ」
「だから迷うんだよな」
 店内を回ると今度はどれも良く見える。悩みが反転してしまって頭を抱える竜に春希はクスクスと笑い出した。
 店内を何周もして疲れてきた頃、遠巻きに見ていた店員が痺れを切らして話しかけてきた。
「お父様へのプレゼントですか?」
「お父様……はい、一応」
 お父様を否定しようとしたが、説明がややこしいので諦めて父親にプレゼントということにした。店員はガラスケースを開けて商品を外に出してくれた。ボールペンと手帳のセット。深緑色の革でできていて格好いいと思った。高級感があって仕事でも使えそうだ。値段は少し予算オーバーをしていたので渋ったが、これ以上悩んでも時間が過ぎるだけだと思い、店員に「ラッピングしてください」と言った。
「買えてよかったね」
「ちょっと予算オーバーだけどな。またバイトしないと」
 買えたはいいが財布の中身が寂しくなってなんともいえない気分の竜。春希と別れ、家に帰ると部屋の中が静かだった。リビングには「出かけてきます」と書き置きと昼食がテーブルに置いてあった。竜は置いてあった炒飯を掻き込むと、ソファーに横になり満腹と悩み疲れですぐに眠った。
 目を覚ましても稜輔と千秋は帰ってきていなかった。時間は十八時。せっかくの休日なのに思ったより眠ってしまった。晩ご飯の用意でもしようと思ったが、二人で外食しているかもしれない。彼氏の誕生日なのだから二人で遊びに行って、いい物でも食べに行くのだろうな。じゃあ、カップ麺でいいや。
「竜君」
 お湯を沸かそうとすると、春希の声が聞こえた。廊下からひょっこりと顔を覗かせている。
「あれ?どうしたの?」
「なんだか竜君が寂しくなっているような気がして」
「気がしただけでわざわざ来てくれたの?」
 自分でもどうして竜に会いにきたのかよく分かっていない春希に思わず吹き出す竜。
「春希も何か食べる?カップ麺しかないけど」
「ううん。まだ少し早いから稜輔さん達をもう少し待ってみない?」
「まぁ、そんなにお腹空いてないからいいけど。でも二人で外食しているんじゃないかな?」
「帰ってくるよ。待ってようよ」
 何故か自信満々で断言する春希にソファーに連れ戻される。不思議に思いながらも二人並んで座りテレビをつけた。テレビを見ずに竜の方ばかりを見る春希。そういえば、彼女は竜が寂しがっていると思って来てくれていたのだった。
「大丈夫だよ。小さい子でもあるまいし。恋人の誕生日なら出かけるのは普通のことでしょ。いつも邪魔しないようになるべく自分の部屋にいたりするけど、でも二人で遊びに行きたいだろうし」
「三人でいてもいいんだよ。稜輔さんは千秋さんも大事だけど、竜君も大事に思っているよ」
「うん。でも……」
 春希に何を話しているのだろうと気づき、途中で話を止める竜。本当に寂しくなっていたのかもしれないと思い始めてきた。
「私は稜輔さんが少し羨ましいな」
「なんで?春希の誕生日になったら何か買ってあげようか?」
 春希は、次のバイトは何にしようかと考え始める竜に「違うよ」と笑いながら首を横に振った。
「稜輔さんの誕生日だからっていうこともあるけど、今日一日中ずっと稜輔さんのこと考えているから」
「あぁ、そういうことね。でも、いつもは春希のこと考えているから」
 春希はニコッと笑ったまま、顔から耳から首まで全部真っ赤にして固まった。さらっと口から出た言葉だが、とんでもない口説き文句を言ってしまって次の言葉が出てこない竜。口の中が干上がりそうなくらい熱い。
「本当?」
 竜がコクコクと頷くと、春希は照れながらも嬉しそうにして、両手を広げ竜の首に抱きついた。
「春希、ダメだよ!あんまりこういうことしちゃ……」
 と言いつつ本気で離れようとはしない竜。春希に頭を抱えられて心地よくなってきた。柔らかくてあったかくて、なんだかまた眠たい。今日はやけに眠たくなる日だ。
 いつの間にか眠っていたようで、稜輔と千秋の「ただいま」の声で目が覚めた。春希はいなくなっていた。
「竜、夕飯食べに行こうか」
「二人で行ってきたんじゃないの?」
「どうして?」
「稜輔の誕生日だからデートしてきたのかなと思った」
 千秋は呆れた顔で「それどころじゃなかった」とため息をついた。
「千秋のお父さんがギックリ腰で動けなくて、病院に運んできたんだ」
「そうだったんだ」
 千秋の父親を抱えたらしい稜輔は疲れた様子で笑っていた。髪や服がよれよれで、直す暇もなかったらしい。思っていたより散々な誕生日で少し可哀想になってきた。
 稜輔はテーブルに置いてあった竜のプレゼントに気がつき手に取った。
「『お父さんいつもありがとう』お父さん……」
 ラッピングに付いているカードを読み上げる稜輔。父親にプレゼントだと思っていた店員が気を利かせてつけてくれたのだろう。
「あ!違う!それは店員さんが付けたやつだから!」
「違うの!?感動しかけたのに」
 竜はカードだけ奪い取ると、改めて稜輔にプレゼントを渡した。プレゼントを開けた稜輔はボールペンと手帳を嬉しそうに眺めていた。
「竜、ありがとう」
 嬉しがってくれるとこっちまで嬉しくなった。やっぱりプレゼントを贈るのは難しいけど好きだ。こんなに分かりやすく「いつもありがとう」を伝える手段は他にない。