郁留は熱も下がり、体調も回復して動けるようになった。学校に登校すると、廊下で話していた渚と海里が郁留に気づき、かけ寄ってきた。
「郁留、大丈夫?」
渚と海里は、郁留が休んでいた間の出来事を話し始める。数日休んだだけで話題が尽きない。あんなこともあったし、こんなこともあったと、話題がコロコロ変わる。
「郁留が休みって知らなかったから、渚の昼飯が白飯だったんだよ」
「あれは辛かったな」
いつも伸之輔が郁留に持たせてくれるおかずを頼りにしていた渚は白飯弁当を食べる羽目になったらしい。
「しばらくは持って来れないよ」
「入院してるんだよね、お兄さん。竜から聞いてるよ」
「やっぱり毎朝作ってもらって無理してたのかな」
伸之輔は料理が好きだ。特に人に振る舞うのが好きで、喜んで食べてもらっていることを耳にするだけで幸せそうにしている。だから毎朝の弁当作りは楽しそうだった。
「それは大丈夫だと思う」
「だったらいいんだけど」
それから、と再び話を始める渚と海里だったが、授業五分前の予鈴が鳴った。
「じゃあ休み時間に行くからね」
渚と海里が自分の教室に戻っていったので、郁留も教室に入ろうとすると、学年主任の教師に呼び止められた。
「二ノ宮君、体調はもういいの?」
「はい」
「生徒会の立候補の受付、今日までだから。生徒会室に来てね」
「いえ、僕はやっぱり人前に立つのはちょっと」
「大丈夫、慣れれば出来る」
断ったのに、またしても聞き入れられなかった。学年主任は軽々しく出来ると言い、満足して職員室に消えていった。
本当に慣れれば出来るのだろうか。もういっそ立候補してしまおうか。





「郁留、学年主任に何言われたの?」
休み時間、約束通り郁留に会いに来た渚と海里、そして竜。教室に戻ったと思ったが、学年主任とのやり取りを見ていたのか。
「生徒会入ってくれって。断ってるんだけど」
「郁留は成績いいからね。特進科でトップテン入りしてるから」
「生徒会は成績がいい生徒がいいんだろうね」
話の流れを全く知らない竜は、よく理解出来ないと首をひねる。
「郁留はどうして生徒会に入りたくないの?」
「人前に立ちたくない。先生は慣れれば出来るって言うけど」
郁留は人前で話すことが苦手だ。それは小さい頃からずっと。大勢の顔が自分に向いているだけで緊張して頭が真っ白になってしまう。直さなければいけない、慣れなければいけない、と思えば思うほど辛くなっていく。
「それって慣れるものなの?頑張ったら出来ることと、頑張っても出来ないことがあるでしょ?」
「慣れ、ないと思う」
郁留の人前が苦手なことは何回経験しても、たとえ上手く出来たとしても、やっぱり苦手だとしか思わない。本番前には冷や汗をかき、終わったら疲れはててしまう。生徒会に入ればそんなことは日常茶飯事になる。しかも、学年主任が求めているのは生徒会長。
「郁留は無理なことでも、人から頼まれると頑張ってしまうでしょ?先生はその性格を知ってるから押しきろうとしてるんだよ。曖昧な返事ばかりしなかった?」
「なるほど」
竜の冷静な分析に思わず納得した郁留。言われた通り、自信がない返事しかしていないような気がする。
「ちゃんと言ってくる」
決心して、学年主任が待つ生徒会室へ向かう郁留を見送った竜は、「成績が悪いことが役に立つ時がきたよ」と渚に言った。渚は竜の提案に頷き、親指を立てる。いたずらを思い付いた子供のように楽しそうな二人。海里は「僕は別の方向からアプローチしてみるよ」と考え事をしながら立ち去った。

「失礼します」
生徒会室に入ると、選挙管理委員の生徒が横に並んでに座っており、その奥に学年主任がパイプ椅子にもたれて座っていた。
「二ノ宮君、やってくれる気になったのか」
嬉しそうにする学年主任を見ると忍びない気持ちになるが、自分は断りに来たのだと、言い聞かせる。
「すいません。僕はやりたくないです」
「そんなこと言わずに」
「無理です」
「人前が苦手なんでしょ?慣れておいた方がいいと思うよ。自分で直そうと思わないの?」
きっぱり断ると、今度は説教を始める学年主任。得手不得手を理解しない教師にイライラして郁留の眉間に深いシワが寄る。こうなったら言い返してやろうと口を開きかけると、背にした生徒会室の戸が開いた。振り返ると、竜と渚がニコニコ笑顔で入ってきた。
「先生、俺、生徒会長になる」
「郁留がやるなら俺もやろっかな」
竜と渚が意気揚々と立候補している。
「いやぁ、今年は生徒会長の立候補が多いから、実はさっき締め切ってしまったんだよ。やる気なのに悪いなぁ」
突然、作り話をする学年主任に驚愕する郁留。
「なんでだよ、先生。立候補は今日まででしょ?」
それでも食い下がらない渚。
「悪いね。やる気は評価するから」
これから準備で忙しいからと、生徒会室を追い出される竜と渚。どさくさに紛れて郁留も二人と一緒に生徒会室を出た。学年主任は郁留には残ってほしそうにしていたが、名残惜しそうに戸を閉めきった。
「先生のあの嫌そうな顔、見た?」
竜と渚は満足そうにニヤニヤしている。思い通りに事が進んで嬉しいようだ。
「立候補を受け付けられたらどうしてたんだ」
「生徒会長?やる気はあったよ」
郁留が不得意なことを、ものともしない渚。案外、渚が生徒会会長でもよかったのかもしれない。










翌朝、掲示板に生徒会立候補者の名簿が張り出された。全ての役職に一人ずつだが名前が入っている。もちろん、郁留が断った生徒会長の欄も。
「なんだ、ちゃんと立候補者はいたんだ」
なんのために、しつこく学年主任から誘われていたのだろうかと不思議に思う郁留。すると、「おはよう」と後から登校してきた海里が郁留の肩を叩き、掲示板を見る。
「郁留より成績が少し下で、負けず嫌いな特進科の生徒に声をかけてみたんだ。郁留が生徒会長に推薦されてるって」
 海里は郁留に一方的にライバル心がある生徒を煽り、立候補させたらしい。海里もまた満足そうにニヤニヤしている。彼も思い通りに事が進んだらしい。
「これでもう完全に郁留には生徒会の話はないね」
郁留は、どうやら三人の友達に助け船を出されていたということに気がつき、思わず笑いがこぼれた。
「すごいね」
「でしょ?」
海里も郁留と一緒に笑った。