────これは、夢?

 エルは気が付くと暗い場所にいた。見覚えのある場所だ。ここは、以前自分がいた場所だ。何年も過ごした暗い部屋。

 冷え切った床が体温を奪う。窓から吹き付ける隙間風が体に当たって寒い。

 顔を上げると、格子が見えた。錆びた鉄の格子だ。その奥に見えるのは暗い闇。月はどこに行ったのだろう。もう長いこと、太陽の光を見ていなかった。

 日がな暗い場所にいるおかげで目が慣れてしまったのか、今はもう暗いとすら思わない。灯りもない部屋で何年も過ごしていたから、色がどんなものかすら分からない。

 そんな場所を見ると思い出す。

 犬のように這いつくばって暮らし、主人である男の機嫌を取りながら心のない日々を送っていたことを。

 自分はあの男の八つ当たり人形だった。まさに人形と呼べる生活だった。人間の形をした「モノ」。

 けれど心はないのに、鞭で打たれると痛い。殴られて、身体中痣だらけで、何度も何度も痛めつけられて。心は壊れていた。

 あの嵐の日。いつもより少しだけ元気で体力があった。だから自分との賭けに出た。ここで殺されるか。外に逃げるか。二つに一つ。

 もうとっくに殺されていた。体を奪い尽くされて、心なんてとっくになかった。

 格子を外したのは勇気があったからではない。

 自分がどこで生まれ、どうやってここに来たのか、もう覚えていない。

 空の色。草の香り。鳥の声。何もかもが遠い。あの暗い部屋の中が、自分の全てだった。

 雨に当たることすら新しい経験だった。地面を蹴ることも、泥まみれになることも────。

 あの夜、誰かに手を差し伸べられた。それは。その人は────。




 目を覚ますと、眩しい。と思った。自分は先ほどまで暗闇の中にいたはずなのに。

 エルは宙に視線を漂わせた後、ここが今の自分の部屋だと気が付いた。

 真新しいシーツ、柔らかい色の調度品。暖かい陽の光。

 どうして私は────。

 記憶を辿るうちに、昨日の夜の事を思い出した。

 連れられたパーティー会場で、聞こえた笑い声が聞こえた。それは久しく聞いていなかった声だった。

 聞き慣れた高笑いにまさかと思いながら、目を向けたそこにはいつか自分が逃げたはずの男がいた。

 頭が真っ白になった。なぜあの男が目の前にいるのか。なぜネリウスがその男と話しているのか。なぜ────。

 ふと、足音が聞こえた。

 ────やめて。来ないで。私が嫌いな音を立てないで。

 エルの体は反射的に大きく震えた。体が震えてどうしようもなくなる。

 誰かが歩いてくる音。ドアをノックする音。ただそれだけなのに、とてつもない恐怖が自分を襲った。