ヴァルト=フォン=ベルデナーレ様。

 国王夫妻の第一子として誕生し、生まれたときから王になるべく育てられた御方。
 私が聞いていたお話では、頭脳明晰で武術にも長けていらっしゃるとのことでしたが、今のところただの筋肉王子にしか思えないのが正直な感想です。
 セイラム様は、やる気さえ出れば非常に優れた王子だからと仰るのですが、それはいつまで経ってもやる気を出さないことを暗に示しているようなものですわ。

「──リシェル様。本気でここで見守るおつもりで?」
「当然ですわ! ヴァルト様がちゃんと私を演じてくださるか監視しておかなければっ」

 両手にもっさりとした枝葉を握った私は、綺麗に整えられた垣根の隙間からテラスを覗き込みました。
 花壇に囲まれた真っ白で可愛らしいテラスでは、ドレスに着替えた銀髪の乙女と見目麗しい貴公子が二人きりでお茶会をしている最中です。
 一見して微笑ましい光景ですが、誰もあれが実は殿方同士のお茶会だなんて思わないことでしょう。既にセイラム様は主君の仏頂面を見て何度も噴き出しては肩を揺らしておられます。

「ゴホッ、ううん、しかしリシェル様。そもそもヴァルト様に男女の会話を期待するのは……」
「ですからここで私たちがサポートさせていただくのです。アランデル様と私のめくるめく結婚生活を掴むために!」

 そう言っているそばからヴァルト様が豪快にお腹を摩り始めました。恐らくコルセットの締め付けが苦しいのでしょう。幸い、アランデル様からはテーブルの陰になっていて見えていないようですが。
 ああ、それにしても今日もアランデル様は眩しいです。甘く柔らかな笑顔で私を──いえ、ヴァルト様を見詰めていらっしゃいます。妬けてしまいますわ。

「リシェル、具合はどうかな? 伯爵がとても心配されていたよ」

 組んだ両手の甲に顎を乗せ、アランデル様が小さく首を傾げました。何てお可愛らしい!! 公子様であるにも関わらず身分差を感じさせぬ砕けた姿勢は、いつも私の緊張をほぐしてくださるのです。
 さぁヴァルト様、打ち合わせ通り「心配させたお詫び」と「アランデル様にお会いしたかった」旨を伝えるのです!

「──心配には及ばん。ちょうど退屈していたところだ」

 偉そう~!!
 驚くほど偉そうですヴァルト様! いえ実際貴き身分の御方なのですけど、もっとしおらしく伝えてください! 決闘でもなさるおつもりですか!?
 私が垣根の向こうで悶えている一方、対するアランデル様は一瞬だけ表情を強張らせましたが、すぐさま平素の笑みを浮かべてくださいました。

「そ……そう。それは僕に会いたかったと自惚れても良いのかな?」

 そんな口説き文句に本来なら照れるところを、当然だと言わんばかりにヴァルト様が鷹揚に頷かれました。まるでご自分の伝え方に何も問題がなかったとでも言いたげです。
 お二人の間に流れる微妙な空気を取り繕うべく、私は少しだけ腰を浮かせ、紅茶を飲むジェスチャーを送りました。垣根越しにちらりと視線が合い、ヴァルト様がティーカップに手を伸ばします。
 すると、どういうことでしょう。
 取っ手を摘まみ、口に運ぶまでの仕草はとても自然でした。いえ、寧ろ美しさすら感じます。茶会はよく知らないと仰っていたはずですが、その洗練された所作に私は思わず見入ってしまいました。

「どうしましたか、リシェル様」
「あ……いえ、ヴァルト様、意外にも慎ましく紅茶をお飲みになると思って……もっとティーカップを鷲掴みにしてがぶ飲みなさるかと」
「あなたは本当にヴァルト様を原住民か何かと勘違いなさっているのですね」

 セイラム様は溜息まじりに私の発言を咎めましたが、再びヴァルト様の方を見遣っては小さく語ってくださいました。

「……確か、幼い頃は母君とよくお茶をしていたそうです。格式張ったものではなかったでしょうが、身近に素晴らしい手本があったということですね」
「まぁ、お母さまと……」

 つまりは王妃殿下でしょうか。ヴァルト様も昔は可愛らしい少年だったのかと、今のゴリラ姿──逞しい姿からは少し想像がつきません。

 でも確か、王妃殿下は随分前に亡くなられて……。

 私がふと眉を曇らせたのも束の間、テラスで再び動きがありました。
 アランデル様が少しばかり身を乗り出し、ヴァルト様の右手にそっと手を被せたのです。何か囁いているようですが、全く聞こえてきません。
 ああ、私、いつもあんなに近い距離でお話していましたのね。第三者から見ると何だか恥ずかし──。

 刹那、テラスに鋭い打擲音が響きました。

 見れば、ヴァルト様がアランデル様の手を振り払い、そのまま席を立ってしまったのです。
 呆然としているアランデル様を置いて、ヴァルト様は振り返ることなく大股に立ち去っていきます。

「え……えっ!?」

 一体何があったのでしょうか。アランデル様の方はセイラム様にお任せすることにして、私は急いで小さな背中を追いかけたのでした。