霖鈴月 終24日


ビリー。

昨夜は近隣で魔獣の暴走があって散々でした。

ひとりで対処するのとは勝手が違って、指示に従って協力し合うことの難しさを知りました。

魔力が空になったのも久しぶり。
今日は休むことに集中します。





「マリオン! ケガはない?!」
「治しました……平気」

泥と血に汚れたマリオンに近付こうとすると、リディアは両手を突き出され、これ以上は近付くなと止められる。

大丈夫だからと力無く笑うマリオンを見て、はああと長く息を吐き出し、リディアはその場でしゃがみ込んだ。

「魔力切れなので、ちょっと寝てきます」
「そのままで?! 」
「ローブ着てるんで大丈夫……」
「ダメだって! とりあえずお風呂に」
「……お湯を作る余裕もない……まぁ、水でもいいか……」
「お湯なら用意してあるから!」

騎士科と術師科の先輩たちが続々と戻ると聞いて、残っていた若年の騎士科が、やり場のない焦燥をここで発散すべしと動いていた。

戦闘の邪魔になるから控えなくてはと自身を律していても、討伐に出してもらえないのはやはり辛い。

リディアを含めた数名は、寮に帰るみんなを迎え入れようと食事と風呂を用意して待っていた。

「汚れた服を出して?」
「ほとんど魔獣の血ですし、ちゃんと捨てないと危ないです」
「……うん、きちんと処理するから」
「……じゃあお願いします」

魔獣の血や体液は、獣やその他の生物とはまた違う、独特の臭いがする。腐臭が混ざったねっとりと重たい血の匂い。
血だけですら穢れは発生するし、病みもする。管理と処理の方法は国の法で厳しく取り決めがある。

マリオンから渡された服は破れ方もこの間のご令嬢の衣装とは違い、刃物で切ったものではなく、裂けたり千切れたり、部分的に焼け焦げもある。

服のあり様からも、戦闘の激しさを感じる。
胃が持ち上がる感覚を堪えて、リディアはかつてマリオンの衣装だった布の塊、ローブ以外、靴までも直接触らないように袋に詰めた。

傷だらけのマリオンの身体を、あまり見ないようにリディアは目を逸らせる。

よたよたとマリオンは浴室に入り、身綺麗にしている間に寝巻きを持ってきてもらう。その上にローブを羽織ってふらふらと食堂に行った。
浄化の術が常に展開されているので、ローブ自体がきれいだし、浄化の作用はマリオンにも還るから丁度良い。

もそもそ食事をして休もうと部屋に向かう。

マリオンのくたりとその場で崩れてしまいそうな弱々しさに、リディアは顔を歪める。

「しっかり休んで」
「……はい、おやすみなさい」
「おやすみ……早くいつものマリオンになりますように」
「ありがとう……お風呂も食事も嬉しかった」
「うん、みんなにもそう伝えとく」

ぎゅうとマリオンを抱きしめて、部屋の中に押し込んだ。

小さくて柔らかな感触に、リディアは胸を掻き毟られる思いがする。
心配しながら待つしかできなかったこと。
その場にいられなかったこと。
全て弱いからだと自分を責めそうになる。

リディアは顔を上げると勢いよく息を吸って吐いて、この後帰り着くだろう先輩のために走り出した。





「今日という今日は貴様を許さない!」
「…………今度は何ですか」
「貴様、自分が何をしたか分かっていないのか!」
「だから聞いているんですが?」

前日の昼過ぎから次の昼までたっぷり寝て、ほぼ魔力も回復したのでリディアと一緒に学院の大食堂までやって来た。

みしみしと鳴りそうな筋肉痛の身体を慣らそうと散歩も兼ねている。この後も講義や研究は休みと決まっているので、ゆっくりと過ごす予定だ。

他の先輩方も気になっていたので、様子見も目的のひとつにある。

ちなみにビクターはまだ起き上がれないらしい。這うか転がるかで移動していると、術師科の男子生徒からさっき教えてもらった。

騎士科は昨日の夕方から夜にかけて、まとまって帰り着いた。
けが人もそこそこ出て、今も休んでいる人が多い。食堂はいつもより閑散としている。



その大食堂にあって、人一倍元気で、意気揚々と鼻息の荒い人物は、食事をしようと席に着いているマリオンにびしりと人差し指を向けた。

マリオンは虫を払うようにひらひらと手を振る仕草をする。

「昨日、オリビア嬢を階段から突き落としただろう!」
「…………………は?」
「かわいそうに、彼女は足を挫いてしまったんだぞ! あんなに高い場所から落ちて、運が悪ければどうなっていたか……考えるだけで恐ろしい!」
「………………どこの階段ですって?」
「本校舎の中央階段だ!」

石造りの本校舎は、収容人数に合わせた大きな建物で、その大きな建物に合わせて、中央に位置する階段は幅が広く、石造りで立派なものだ。

「昨日のいつですか?」
「朝だ! 講義室に行こうとするところを、後ろから押されたと言っている」
「誰が?」
「オリビア嬢が!」
「誰に?」
「貴様にだ!」
「……………………はぁ」

何か返すのは本当に本当に面倒に思えてきて、マリオンは食事をすることにした。

リックとリディアのスープとパンを温め、自分の皿にもひらりと手をかざした。

リックは骨折で、リディアは若年を理由に戦力外だった。カイルは学院に帰っているが、部屋で死んだように眠っている。
リックが起こそうと試みたが、ぴくりとも反応が無かったらしい。

「……言い訳もないようだな!」
「…………あのさぁ」
「なんだ!」
「うるさいからあっち行ってくんない?」
「なんだと?!」

リックは大きくため息を吐くと、男子生徒に身体を向けて、足を組んで、折れてない方の腕で頬杖を突く。

「一昨日の夕方、魔獣の暴走が起こったのは知ってるよね、もちろん」
「それがどうした」
「騎士科と術師科はほぼ出払ってたんだけど、それも知ってるよね」
「え……そ、それくらい、知っ……」
「みんなが帰って来たのは、その次の日、つまり昨日の、早くても昼を過ぎて以降だよ。夜になった奴も居る」
「そ……だったら、なんだ!」
「なんだじゃないよ〜。……どうしてそんなに馬鹿なの?」
「馬鹿とはなんだ! 誰に向かってそんな口を……」
「マリオンがどこに居たのか知ろうともしないのも馬鹿。その上で嘘に乗せられて言い募ってくるのも馬鹿……馬鹿の集まりじゃん」
「そ! その女も討伐に出ていたとでも言う気か!」
「その女?……誰に向かって言ってるのか知らないけど、カイルがここに居ないことに感謝しなよ?」
「脅す気か、そうはいかないからな!」
「……術師科はみんな討伐に出てたよ」
「騎士科は残っていたではないか!」
「そりゃ、俺みたいにケガしてる奴とか、戦力外の奴だけだ」

ぐと息を飲み込んで、リディアは持っていたスプーンをトレイの上に置いた。
俯いて顔を顰めたのを、リックは見て見ぬフリをする。

「あぁ、もう、はいはい。私がやりましたよ。……これで良いですか? あっちに行って下さい、面倒だから」
「……貴様……ではないのか?」
「私がやりましたよ、それで満足なんでしょう?」
「もぅ〜マリオン、俺が相手するって」
「リックの食事が邪魔されてます」
「いいよ、それくらい」
「ダメです。食事はきちんと取らないと。大事なことですよ」

さすがに魔獣の暴走が、どの距離まで及んだのか、話は伝わっていたらしい。
男子生徒は訝しげな表情を浮かべて、背後にいる集団の中心人物を振り返る。

「本当に、討伐に出ていたのか?」
「出てましたよ。私は戦闘中にわざわざ転移で学院に戻って、オリビア嬢をあの石階段から死なないように加減して突き飛ばし、誰にも知られないように転移で戻りました。ずたぼろで血みどろだったんで、オリビア嬢に私の手形が残ってるんじゃ無いですか? 魔獣の血の」
「誰にも知られず……そんなこと」
「できますよ、私なら。……あ、手はきれいに洗えば良いですね。なので、証拠も残りません」
「……わざわざこちらに戻って?」
「わざわざです。まさか誰もが死なない為に必死な場面で、わざわざ学院に戻って来て、階段から突き落とすためだけに転移するなんて思わないでしょう?」

男子生徒は自分の爪先を見つめ、もう一度背後を振り返る。

大勢に囲まれてしくしく泣いているオリビア嬢を見て、顔をマリオンに向けた。

真っ直ぐ見返しているマリオンはいつもより顔色が悪く、目の下には濃くくまができている。

「賑やかにはしゃぐのもいいさ。そりゃあんた達の特権だよ……でも、今日、ここでじゃ無い。どうしていつもより人が少ないか、ちょっとでも良いから考えてくれ。ケガをした中には死にかけてる奴も居る。疲れが取れなくて寝てる奴も、動けない奴もいる……暴走が通り過ぎた町の被害も小さくはない。……頼むからきゃんきゃん吠えるならサロンに行ってくれないか? そこなら目障りな俺たちは居ないだろう?」

三つ星以上、それも決まった人物しかサロンには入れない。もちろん騎士科と術師科は立ち入れない場所だ。
そのサロンも粛々とした雰囲気で、上級生から、やんわりと出て行けと言われ、憂さを晴らそうと、深く考えもせずに、いつものようにマリオンに突っかかっていった。

何故自分たちがサロンを追い出されたのか。
本当にオリビアはマリオンによって階段から落ちたのか。

この食堂がいつもより閑散として静かな理由を改めて考える。

「…………申し訳ない」
「え?! 本気で言った?」
「……ああ。悪かった」
「どうしちゃったの急に」
「私の態度は謝る…………だが、オリビア嬢に起こったこととはまた別だと思ってくれ」
「マリオンがやったと思ってるってこと?」
「いや……それは現実的ではないと、私は思う」
「おお……冷静だねぇ」
「少し……考えさせてもらう」
「あら〜殊勝なこと」
「……失礼する」

男子生徒は背を向けると、集団の方に歩み寄り、少し会話をするとそこからも離れていった。追ってこられるのを断っている仕草も見える。

ひとり大食堂から出ていくのを見送ると、集団は改めてマリオンたちを睨みつけた。

リックはその視線を受けて鼻で笑って返す。

「……あの子どこの子だっけ?」
「オリビア嬢?」
「んーん。男の子の方」
「えーっと、ミドルトンの領主子息だったかな」
「王都のすぐ横じゃん」
「だね……あ」
「まぁ、危機意識はお持ちみたいで感心」
「……どういうこと?」

マリオンが首を傾げると、リックは困ったような顔でふと笑う。

魔獣の暴走の最終地点は王都まであと少しの場所だった。
件の男子生徒の家があるミドルトンまで、ほんの目と鼻の先ほど、一歩手前といった辺りで食い止められた。

そのことは誰より彼自身の方が重く受け止めているだろうし、将来的に領地を受け継ぐのなら、そうあるべきだねとリックは力無く笑う。

「魔獣如きで大袈裟じゃないですか?」
「そんなことないよ! ていうか、マリオン何言ってんの?!」
「魔獣なんて日常的に出てくるのに……」
「お……っと。マーレイ領ってそんな感じなの?」
「あれ? 国境沿いや、大きな森がある所って大体そんなもんですよ?」
「あ……あーうん、そう聞くけど、ほんとにほんとなんだねぇ」
「こっちこそですよ。中央ではそんなに珍しいことなんですか?」
「……その口振り……ずいぶんと魔獣に親しみがあるようだけど」
「仲良しみたいに言わないで下さい」
「よく討伐にお出かけで?」
「出てくるの魔獣だけじゃないですからね、よく駆り出されました」
「わぁ……大変そう……」
「こっちでの生活の方が大変ですよ」
「あら〜……そうなんだ、それはそれは」
「……だからマリオンは平気な顔なの?」
「うん? 何がですか、リディア」
「だからそんなに強いの?」
「はい? 強い? まぁ、負けたら死人が増えるので」
「…………私! もっともっと頑張るから!」
「あ、はい! 頑張って下さい、応援します!」
「ありがとう、マリオン!」
「はい!」
「うわぁ……素敵だねぇ」

リックが手を叩くと、手と包帯でぱすぱすと音が鳴る。

「俺もがんばろー」

午後からリディアは剣を持って修練場に出かける。

翌日にはリックは添え木を外して訓練に復帰した。



その数日後に、マリオンからふたつ星が取れる。