開け放った窓から、外のざわめきが届いた。

「何やら、兵舎のほうが賑やかだな」

 ベルナール卿は机の上の書類から顔を上げた。同時に、執務室のドアがノックされた。
 入ってきたのは兵士のドミニクである。

「閣下にお願いがございます」
「なんだ」
「聖女を一人、雇っていただきたいのです。すごい聖女です」

 黒い瞳が眇められる。
 どうせ、またインチキだろうとベルナール卿は思った。
 何かうまいカラクリを考えたのだろうが、兵たちの目はごまかせても自分の目はごまかせない。
 会っても時間の無駄だと思った。

 だが、たまたまちょうど、仕事が一段落したところだった。
 少し身体を動かしたい。

(気晴らしに会ってみるか)

「ここに通す必要はない。俺が会いに行こう。どこにいる」
「兵舎の食堂です」




 アニエスは食堂で楽しくやっていた。
 肉と果物を酒をたっぷりと振る舞われて、上機嫌で兵士たちと肩を組んで歌を歌っている。

「お嬢ちゃん、音痴だねぇ」
「ありがとう」
「褒めてねえし」

 わはは、と笑い声が上がったところで、ドミニクが立派な身なりの男を伴って食堂に入ってきた。
 みんなの態度が急に改まる。

 男は長身で肩幅が広く、手足の長い均整の取れた身体つきをしていた。
 黒い髪と黒い瞳が神秘的な美形である。
 ちょっとワイルドな雰囲気もある。

(おお。かっこいいな……)

 珍しく心惹かれて眺めていると、ドミニクがアニエスを呼んだ。

「嬢ちゃん、ベルナール閣下をお連れしたぞ。聖女枠で採用してもらってくれ」
「えっ、ベルナール閣下って、トレスプーシュ辺境伯?」

 そういえば、イケメンだって噂だった。
 恋の病の患者を何人も施術したんだった。

 アニエスは急いで兵士たちの輪から離れて、ベルナールの前に歩み出た。 
 カーテシーをしかけたところで低い声が聞こえた。

「ずいぶん汚ねえな」

(はい?)

 空耳だろうか。

「これ、本当に聖女か?」

 アニエスの鋼鉄の心に、何かがグサッと刺さった。

「お、お言葉ですが、閣下は見た目で人を判断なさるのですか」
「別に判断してねえよ。ただ、感想を述べたまでだ」

 ぐぬぬ、と奥歯を噛みしめて、アニエスは気持ちを立て直した。こんなことで心を乱すようでは、聖女失格である。

「まあ旅をしてきたんだろうし、汚れてるのは構わねえよ。今までの聖女とだいぶ雰囲気が違うが、そこも別に構わん。判断するのは実力を見てからだな。どの程度力があるのか、実際に施術を見せてもらおうか」
「わかりました。では、早速……」

 張り切って肩をぐるぐる回したアニエスだったが、よく考えたら、もう施術する患者はいない。

「あのー……」
「どうした。さっさとやれ」
「治す人が……」
「患者を選ぶのか」

 嘲るように見下ろされて、なぜそんな目で見られるのかと困惑した。
 誰か適当な怪我人がいればいいのにと、まわりを見回すが、いないものはいない。みんな元気でピンピンしている。

「できないなら、帰れ」
「できます」

 患者さえいれば。

(困ったなぁ……)

 その時、門を守っていたポールが食堂に駆け込んできた。

「城門の外にすごい人が集まっています。みんな、そこにいる聖女さんに会いに来たようです」
「何?」

 ベルナールが眉間に皺を寄せた。アニエスは顔を輝かせた。

「もしかして、みんな怪我人や病人なの?」
「そのようです」
「すぐ行くわ。閣下、私についてきてください」