『…よし、』



宿題を終えた少年は静かに鉛筆を置いて、音を立てずランドセルにノートをしまった。

うしろでスヤスヤと眠る幼子は起きる気配がない。


今のうちにサッとお風呂に入ってこよう…と、ゆっくりゆっくり立ち上がって部屋を出ようとするけれど。



『ふゃぁぁぁ…っ』


『ごめんごめん絃。うん、行かない』



お風呂はもう少しあとにしたほうが良さそうだ。

こうして少しでも離れると泣いてしまうから。



『黙って置いていくなんて最低だよね。ごめんね、俺が間違ってた』



それを“面倒”だと思ったことは1度もない。

絃織を誰よりも必要としているのは絃であり、絃織にとっても絃は何よりの宝物。



『もう少ししたら一緒に入れるんだけどなぁ』



まだハイハイができないから、赤子の扱いが手慣れているチヨさんに今は任せてある。

でも本当は少年の手だけで絃の面倒をすべて見たいと思っていた。


そんな独占欲は誰にも言えそうにないが。



『…かわいい』



手を伸ばしてペチペチと少年の頬を叩いてくる。

痛くもなくて、ふにゃりと柔らかい。

きゃっきゃと笑ってくれるのはこの少女だけ。



『なぁに絃。俺の顔に何かついてる?』


『あー、うっ』


『……天使の羽が付いて空に飛んで行っちゃわない…?可愛すぎてお天道様に気に入られたらどうしよう…』



そんなふたりだけの誰にも邪魔されない、優しい時間。



『───絃織、』


『おやっさん!』



スススッと襖が開いた。

忙しい毎日で中々帰らない赤子の父親が帰ってきたらしい。


この男もやはり1人の父親だ。

寝かされている娘の傍にすぐ近寄って、眼差しを柔らかくさせている。