「リファ、礼を受け取れ」
「俺たちが丹精込めて作ったプレゼントだ」
 朝っぱらから双子に突撃されて、リファはしぱしぱする目で起き上がった。窓の外を見ると、少し明るい。今から本格的な夜明けだろう。
 クロマユはいつの間に戻ってきたのか、リファの枕もとですうすうと寝息を立てていた。
(この人たち、どれだけ早起きなんだ……)
 ひんやりとする部屋の中で、異様に元気な双子から熱が放出されているようである。
 さわさわと、風に吹かれた木々の音がする。
 そういえば、アルフレートでこの葉のこすれた音を聞くのは初めてだ。以前はなんの感慨もなく聞いていたというのに、それがとても特別なもののように感じる。
 そうしてリファは、もう一度眠りにつこうとまぶたを閉じた――。
「「寝るな」」
 双子たちの見事なハーモニーを受けた。
「う?」
「う、ではない」
「早く目を覚ませ。そしてその目に焼きつけろ」
 ばっと差し出されたのは、夏休みの宿題で出される画用紙の幅の巻物だった。
「なに、忍者?」
 もごもごと訳のわからないことをつぶやきながら、リファはまだ眠い目をこすりながら起き上がった。
「「起きたな」」
 双子が、いつもより少し緊張した面持ちでそう口にした。
 そうして、ぱっと巻物の留め具が離されると、リファの前に大きな絵が広がった。
 その絵は、小さな金髪の女の子を中心に、隣にクロマユ、そして横には、大きな白い狼が座っている。ひとりと三匹は真正面を向いて、満面の笑みを浮かべていた。その背後には、大きな大きな木が描かれている。地面は緑に塗られ、たくさんの花が描かれていた。空には赤い太陽が上り、ひとりと三匹、大きな木と花を照らしていた。
 どれも線はいびつだが、とても丁寧に描かれているのが伝わってくる。
 それがなにかわかった瞬間、リファの涙腺が崩壊した。
「私じゃんんん」
 泣きながらなんとか絞り出すと、双子は満足げに笑った。
「うまく描けてるだろう」
「昨日宴の後、思いついてな。私たちから特別にお前に礼をしようと」
 まさかずっと起きていたのではあるまい。よく見ると、双子たちの目の下には隈ができている。
「なにしてんのぉ」
 あまりにもうれしいサプライズに、リファの目からはもう涙が止まらなくなった。絵を受け取りたいが、涙が落ちてしまいそうでなかなか受け取れない。
 絵に描かれたリファのように、満面の笑みを浮かべたいのに、気持ちと涙だけがあふれてうまく笑えなかった。
「俺たちの友人たちも、リファにはとても感謝している」
「今まで憧れるだけだった美しい緑を」
「今まで大人たちから聞かされるだけでどんなものなのか理解していなかった緑を」
「オオガミ様がお好きな緑を」
「この呪われた地と呼ばれてきた国に緑を」
「「俺たちに授けてくれてありがとう」」
 ソーマとトーマは交互交互にそう言うと、にっこりと笑った。
 リファはもう、前も見えないくらい号泣している。
「あ、あり、ありが、ひっく……、うれじぃ」
 言葉もうまく出ずにしゃくりあげている。あきれた双子がそんなリファを抱きしめた。
「リファがくれた緑は、次代の俺たちに託された」
「必ず、大切に守るよ」

 その日のリファは、双子のプレゼントのことを思い出しては泣いて、一日中ずっと目が赤く腫れていたのだった。城の者がみな穏やかな笑みで、目を腫らしたリファを見ていた。そしてそれを見たオリエイエのニカが、〝誰だ天使を泣かしたのは〟と暴れそうになるひと幕もあった。
 緑あふれる城では、皆が穏やかだった。
 ニカは、城を緑であふれさせたのはリファの魔法のおかげだと信じているようで、あれほど警戒していたオオガミの復活の話などもう忘れてしまったかのようである。

 夕食を取った後、部屋にジニアスが訪れた。
 いつもの飄々とした美青年が、ランプの光に照らされて今日も美しい。
「よ、なんだか久しぶりだな」
 そうなのである。ここ数日、ジニアスとはまともに顔を合わせていない。
「うん」
 リファは鏡台に座って髪を梳(す)いているところだった。一応レディの部屋なのだけれど、ノックもせず入室してくるあたり、相変わらずのジニアスである。
「またそんな薄着で。風邪ひくからちゃんと着ろ」
 ジニアスが椅子にかけてあったガウンを、リファの顔面に投げつけた。
 ふわりと、ジニアスから香ばしい匂いが漂ってくる。
「ニカの香水の匂いだ」
 リファは反射的に口に出してしまった。喉を焼くお酒のような甘ったるいそれは、ニカから漂ってくる香りである。
「うお、すげえな。わかんの?」
 ジニアスはリファから自然に櫛を取り上げて、サラサラの金髪を結い始めた。
「さっきまでオリエイエの連中と話してたんだ。兵をアルフレートの外に待機させてるって言ってたろ? そのなかに知り合いがいるはずだから、会わせてくれって頼んでたんだ」
 なるほど、そういうわけか。
 ジニアスにどっちのリボンがいい?と聞かれて、金色と赤色のリボンが差し出された。眠るときでも邪魔にならない細めのリボンである。
 リファはしばらく考えて、ジニアスの髪の色に決めた。
「ジニアスは国に帰ることないの? ずっと旅人?」
 リファが尋ねると、ジニアスは考えるように天井を見上げた。その間も器用にリファの髪の毛は小さな三つ編みに結われていく。
 考え込んだのは一瞬で、ジニアスは笑った。
「まあそのうち。お前も行ってみたいだろ? オリエイエ」
 ごく自然にジニアスの口からこぼれたそれに、リファは心臓をぎゅっと掴まれた思いだった。
「……もう、私のこと仲間じゃないって思ってるのかと思った」
 気づけばめんどくさい女発動である。
「はあ?」
 うつむいたリファに、ジニアスは心底から大きな声を出した。
「待て待て、なんでそうなった?」
 櫛を鏡台に置いて、さっとひざまずいてリファの顔を覗き込む。
 ジニアスの驚いた顔が、リファの視界に入る。
「……だって最近、オリエイエの人たちとばっかりいるから」
 ほんの少しの不安だ。誰にもこぼすことのない弱音だった。
「もしかしたら、このままアルフレートに私を残して、どこかに行っちゃうのかなって心配だったんだもん」
 アルフレートは好きだが、永住するつもりではない。ジニアスが許してくれるなら、一緒にいろんなものを見る旅に同行させてもらえたらなと、リファは勝手に考えていたのである。もちろん、ハンスたちも一緒に。
「あほか。置いていくわけないだろ」
 ジニアスはまるで年の離れた兄のようにリファの頭を包み込んだ。そして不安そうなリファと目を合わせて、不安をひとつひとつ解消するように話をする。
「お前はお前で、ミドリノユビが使えるようになっちまったから、もしかしたらここを離れたがらないんじゃないかって思ってたんだよ。この国を出たら、もしかしたら使えなくなるかもしれないから」
 なるほど、お互い相手の考えが行方不明になっていたらしい。
「一緒 行く」
 リファは言った。
「オリエイエで、たくさんスパイス買う」
 そう言ったリファに、ジニアスはすがすがしく笑った。
 リファの美しい金色の髪には、赤くて細いリボンが愛らしく揺れていた。

 眠る前には、双子にもらった巻物をそっと開いた。開いては見て、開いては見て、もう何度、目をウルウルさせたかしれない。今はもう部屋から出ていったジニアスにもしっかり自慢した。
 絵をゆがめたくなくてきれいにシーツを整えたベッドの上で、丁寧に開いた巻物をリファは満たされた気持ちで眺める。
 巻物に書かれた自分の笑顔が、なかなかにいい笑顔なのである。
(こんなことある? 今までの人生で、こんなにうれしいことあった?)
 喜びやうれしさに順位をつけるつもりはないが、自分がこんなふうに誰かに感謝されるようなことができるなんて、思ってもみなかった。
(父さん、母さん、ごめん)
 ふたりを置いて出てきたこの旅で、リファはかけがえのないものを手に入れた気がした。
「ピィ」
 クロマユが、背中にのっしと乗ってきた。
「起きたの? クロマユも見る?」
 リファは涙交じりの目で振り返った。
 クロマユは、今日はずっと眠っていた。眠っては起きて、眠っては起きてを繰り返し、体力を回復しているようだった。
「ピィ!」
 クロマユはソーマとトーマの絵を認めると、うれしそうに跳ねた。
「一緒に映ってるね」
 ぴょんぴょんと跳ね回り、宙に浮いたままその短い前脚を絵に伸ばした。大切な絵を曲げないように、優しく、優しく。
 クロマユの前脚は、絵の中のリファの頭をそっと・・た。
『――今までよく耐えてきた』
 そう声が響いたかと思うと、リファの首筋の痣がカッと熱くなる。
「うわっ」
 思わず悲鳴を上げて痣を押さえるが、そのときにはもう熱さは感じなくなっていた。
「びっくりした。誰の声?」
 部屋の中をきょろきょろするが、誰もいない。動物の声のような気がしたが、この部屋に動物はいない。
 低く落ち着いた声だった。まるでハンスのような――。
 リファの目が、クロマユにとまる。
「え?」
「ピ?」
 リファの声に、クロマユがかわいらしく首をかしげた。
 ふよふよと浮いている愛らしい姿に、リファは思わず相好を崩した。
「まさかね」
 そうつぶやいた瞬間、リファの視界が真っ黒になった。
 頭にガボッとかぶせられたのは麻袋か――それ越しに、クロマユがピーッと叫ぶのが聞こえる。
「クロマユ!」
 慌ててクロマユのもとへ駆け寄ろうとしたが、大きな手に首を絞められてリファの意識が遠のく。
 遠のいていく意識の中で、大切な絵がぐしゃぐしゃになっていないことを祈って――。