その日、いつも朝食をラディスに食べさせられているレイラは、一人で朝食を堪能していた。

 起きてすぐラディスが仕事で忙しくて来れないと、ロビィに申し訳なさそうに伝えられたのだが……。

「快適すぎる」

 現在は20歳の肉体に戻っているレイラだが、中身は40歳。

 ラディスはペットにエサをやっている感覚なのだろうが、正直言って誰かから食事を食べさせられるのは、疲れるのだ。

 特にラディスほどの美貌を持った恋人でもない男性に「あーん」をされるなんて、正直恥ずかしくていたたまれない気持ちになる。

 例え恋人だとしても精神年齢が40歳のレイラに「あーん」はきつすぎた。

「……やっぱり、あーんはないって。自分で食べればいいと思うあたり、中身は40代の枯れた女のままで安心する」

 番(つがい)で給餌行為をする動物もいるというが、レイラは恋人でも無理だ。

 ここでレイラは忘れていたのだが、実は20代ときも恋人同士で食べさせあう行為を目撃すると、ムズムズするというか。せめて人目のない家ですればいいのにと、痛々しく思っていた。

 つまり、年齢は関係なく、レイラはもともと枯れている性格だった。

 食事が終わるころ、今日は西の森にいくことになっていたので、ロビィが迎えに来てラディスの執務室に案内された。

 ラディスはレイラが入室したことにも気づいていないようだった。

 いつもの眉間にぐっとしわの寄った難しい顔をして、一心不乱に山積みになった書類に埋もれて執務をこなしている。

 ラディスの執務机の横の机で、書類の仕分けをしていたシルファが顔を上げる。

「あぁ、やっと来てくださいましたね!」

 レイラはシルファに案内されて応接用のソファに座る。

 ラディスもようやくレイラが来たことに気づいたようだ。

 レイラの横に座ったラディスは、先ほどよりはましな顔をしていたが、やはり険しい顔をしていた。

 鼻梁の通った端正な顔立ちは、顔色が悪いせいか、よくできた彫刻のようで一層人間離れして見える。

「ちょっと顔色が悪いんじゃない?」

 手を伸ばしかけるが、ラディスに到達する前に彼の手によって阻まれる。

「問題ない」

 近すぎる距離感に、レイラはしまったと思ってラディスに触れてしまった手を引っ込めようとした。

 ん?

 ところが、レイラは触れたラディスの手の冷たさに、硬直してしまった。

 冷たすぎる。

 緊張かストレスによって血の巡りが悪くなっているのではないだろうか。

「また大きな瘴気の穴が発見されたそうだ。西の森の詳しい状況は後から来るリリンの報告を待ってくれ」

「わかった」

 レイラはうなずくと、ワンピースのポケットに忍ばせておいたハンドクリームを取り出すと、手の平をラディスに差し出した。

「それまで、ちょっと手を貸して」

「手?」

 ラディスは怪訝な顔をする。

「部屋の温度が寒いわけでもないのに、指先が冷たいのはまずいのよ」

「ラディス様に害がないか、まずは私が……」

 シルファが手を出そうとするが、シルファより前にラディスがレイラの手の平に手をのせた。

「よい。いつもの延長だろう」

「ラディス様ばかりずるいですよ」

 シルファがすねたように唇を尖らせる。

 レイラは苦笑をしながら、うなずいた。

「クリームしかないけど」

 そういって、ハンドクリームを手のひらで伸ばして、ラディスの右手を包み込むように触れる。

「手指を酷使してると、肩とか腰が痛くなったりするから」

 関係ないように見えて、体というのはつながっている。

 頭痛の原因が首にあったりするように、実際痛い場所に問題があるとは限らない。

 レイラはラディスの男性らしい節があって大きくきれいな手に、なでるようにクリームを塗りこんでいく。

 まずは指先から手首のあたりまで。

 ラディスが身を引こうとするが、レイラは手首をしっかりつかんで逃がさない。

「痛くしないから、じっとしてて」

 なでることで皮膚のすぐ下を通るリンパや毛細血管を刺激して、流れをよくする。

 それから内側の手の平とその下、手首の境目にある腱のあたりを、親指の平で優しく押す。

 次に手の平の真ん中、さらに手の甲側の小指の付け根をぐっと押すのを何度も繰り返す。

「……」

 ラディスが身じろぎしたのを感じ、レイラは様子をうかがうが、相変わらずラディスの端正な顔には何の表情も浮かんでいない。

 けれども、かすかに頬に血色が戻ってきているようなので、効果は出ているようだ。

「指と爪も気持ちいから我慢してね」

 警戒を与えてはいけないので、子供に言い聞かせるように優しく言って、一本一本の指と爪の先までクリームを塗りこんでいく。

 こうやって指にクリームを塗るのも立派なマッサージになり、指先の血のめぐりがよくなるのだ。

「もう片方の手もするね」

 ラディスがおとなしく左手を差し出そうとしたときだった。

「はいはい、そこまでね。近すぎるから離れろ人間!」

 ソファの後ろからレイラとラディスの間に割り込んできたリリンに、ばりっとはがされる。

 二人の間に座りながら、リリンはレイラをにらみつける。

 美少女ににらまれて、レイラはたじろいだ。

 相変わらず敵意を隠しもしない。

「もっと早く報告に来るべきだわね!」

 眉間にしわをよせてしまったラディスの腕に自分の腕を絡ませながら、リリンはレイラをしっしっと追い払う。

 レイラは仕方なくシルファの座る隣のソファに座った。

「さっきの、私にもしてくれません?」

 シルファはそういうと、返事をする前にレイラの手を取ってなでた。

「ふふっ、ラディス様の様子を見る限り、さぞかし気持ちよいのでしょうね。こんなにやわらかい手で……」

 この人はいっつも……完全にセクハラ発言だわ。

 イケメンだからって何を言っても許されると思わないで欲しい。

 怒りと羞恥で耳が赤くなるのがわかったが、レイラが口を開く前に、今度はラディスによってレイラはシルファと引きはがされた。

 ひょいっと持ち上げられると、ラディスの膝の上に乗せられる。

「あ、もうまた人間なんかかまって!」

「ラディス様! 独り占めはずるいですよ」

 リリンとシルファの兄妹が似た顔で文句の声を上げるが、ラディスは目を細めて二人をにらむ。

「うるさい。報告を」

 この二人は、ラディスに命じられると基本的に逆らわないようで、リリンはしぶしぶといった表情で報告を始めた。

 レイラはここ数日の経験から、逃げようとしても無駄だとわかっているので、おとなしくラディスのヒザの上で報告を聞く。

「西の森の瘴気の穴ですが、数が多いですね。東の倍以上です」

 報告の時はリリンは敬語になる。やはり仕事ができる子なんだろう。

 レイラが感心していると表情に出ていたのか、リリンににらまれてしまう。

「今回は1件で、魔女が大地に魔法陣のようなものを描いていたという目撃情報もあります」

「ほぅ」

 ラディスが興味を示したようだ。いつになく感情ののった声だった。

 レイラはラディスの膝の上で、考えていた。

 魔女は、何のために瘴気の穴をあけたりするのだろうか。

「やはり魔女が……元を絶たなければ、瘴気の穴はなくならないというわけですね」

 シルファが言う。

 確かにそうなのだが、レイラは魔女の目的がわからないことが気になっていた。

「魔女の捜索を。見つけ次第、捕らえろ」

「かしこまりました」

 リリンは頭をたれると、執務室を出ていく。

 だがレイラをはじめ執務室にいた誰もが、彼女の表情には気づかなかった。

 彼女はにやりと、不適な笑みを浮かべていた。

 リリンが退室してから、シルファにレイラも準備をするように言われる。

「待て」

 ところがレイラが執務室を出ていこうとすると、ラディスに呼び止められた。

 振り返ると、レイラの顔の前に、ラディスの左手がずいっと出される。

「……片手だけだと……中途半端で気持ちが悪い」

 相変わらず表情が乏しく何を考えているかわからなかったが、右手のマッサージが気に入ってはくれたようだ。

 レイラは小さく笑った。