人通りの少ない場末のバーで、私達は決まってグランドスラムをオーダーする。
 二人だけの秘密。多くを望んではいけない割り切った関係を表すにはもってこいのカクテルだった。
「いつもの」とマスターに声を掛けた私の横で彼は「ギムレットで」と告げた。これは本格的に別れ話だなと、呼び出される前からとっくに分かっていた現実を改めて突き付けられて、ほんの少し胸が軋む。

「おめでとう」
「あぁ」
「千紗からも連絡があった。結婚式絶対来てねって。受付、やってあげようか」
「プライベートでまで仕事はしなくていい」

 私は大手企業の受付で、浩介は我社の営業推進部課長だ。毎朝顔を合わせるうちに親しくなって、連絡先を交換して食事に行って、決定的な言葉がないままなし崩し的にホテルへ行くようになって、そんなだらしない関係が一年は続いていたかもしれない。
 新婦になる千紗は彼の取引先に属する広報課の主任で、私の大学時代からの親友である。
 所謂「友人の紹介」で出会った二人が意気投合するまでにそれほど時間はかからなくて、数回三人で食事をしたのちに「付き合うことになったの」と千紗から報告を受けた時、浩介はバツが悪そうに頭を掻いた。
 その日千紗を自宅に送り届けたあと浩介が私の家で寝たことはおろか、一年経った今もこうして並んでグラスを傾けていることなど彼女は露ほども思わないだろう。

「来るな、とは言わないんだね」
「お前はヤケを起こすような女じゃないだろ」
「さぁ?買い被りすぎじゃない?写真ばらまいて披露宴めちゃくちゃにしちゃうかも。千紗がショックで倒れて、両家の御家族が青ざめて、上司からの期待も信頼も失って、席も窓際になって、取引も全部白紙になって、浩介の人生なんてパーになっちゃえばいいのよ」
「雪乃」
「半分冗談」
「半分本気なのか」
「かもね」

 バッグから取り出したスマホをカウンターに乗せる。
 見られて困るものなんて浩介とのツーショットくらいであとは同僚と食べたフレンチだとか、家の猫だとか、旅先の映えスポットが七割を占めている。
 決まった動作でアルバムを呼び出して、グランドスラムと名付けた写真フォルダーをタップする。

「でもちょうど良かった。私もう浩介のこと好きじゃないなって思ってたところだったから」

 フォルダーを長押しするといくつかの選択肢が現れる。コピー、移動、名前の変更、それから削除。
 一番下の削除に触れると、本当に消してもいいのかと要らぬ警告が表示された。とっとと消してくれればいいのに。

「千紗にはこんなことさせないで」
「約束する」

 二人だけの秘密が少しでも長く続けばいいという不埒な期待からいつも飲み干さずにいたグランドスラムを、私は今日初めて一滴残らず飲みきった。
 空っぽのグラスと空っぽになったフォルダーが、秘密の終わりを静かに告げた。