「目を覚まされたと伺って参りました」

 落ち着いた声でそう言いながら、壮年の男性がメイド風おばさんと部屋に入ってきた。先ほどの話から察すると、きっとこの家の主治医なのだろうか。顔を見るといかにも、お医者さんという感じの銀の丸縁眼鏡をかけて白衣を着ている。
 最初にさっと内診をしますと言われて、ネグリジェの上から聴診器をあてられて、心音を聞かれたり、口の中を見られたりした。

「お嬢様、お名前は?」

 お医者さんにも再度聞かれたけど、私には同じ答えを返すしかない。

「皆原凛音です」

「そうですか」

 既にメイドさんに聞いていたのだろう、彼はさして表情を変えなかった。それから彼は不躾な質問を失礼いたします、と一言断ると矢継ぎ早に問いかけてくる。

「お年は?」

「三十一歳です」

 はっきり年齢を答えると、お医者さんが一瞬怯んだのに気づいた。

「ご家族は?」

「父、母、妹、弟」

「今日は何月何日ですか?」

「令和×年八月十六日」

「簡単にご経歴なんて伺えますか?」

「……ごく普通の家に生まれて、大学を出た後は、学生時代にバイトをしていた本屋にそのまま就職してました」

 あまり考えずに話したがきっと自動翻訳システムでどうにかなるだろう。実際彼は私の話した内容に関して、聞き返すようなことはなかった。しかしここまで聞くと、心底参った、とでも言いたげに、お医者さんは顎を強くさすった。

「どうやら記憶喪失でもなさそうですね……?」

「はぁ…」

「貴女のお持ちの記憶は、アリアナ・シュワルツコフ嬢のものではありませんか?」
 
 聞いたことなど一度もないが、さらっと告げられた名前に、どうしてか息が止まりそうになる。きっとこの少女の名前に違いない。

「はい、その人は知りません」

 お医者さんが、さっと目の前に新聞らしきものを差し出した。

「これ読めますか?」

 見下ろすと、不思議な記号の羅列としか思えなかったので、首を横に振る。

「まったく読めません」

「貴女が知ってる文字をここに書けます?」

 ペンと紙を渡されたのでとりあえず名前を漢字で書いてみせた。お医者さんの反応を見る限りでは、日本語は相手には読めないようだ。

「う――ん……」

 お医者さんはすっかり青白くなってうんうん唸りだした。メイド風おばさんも同じく真っ白になってお医者さんを見つめている。二人とも顔色が悪くなり、心底困り果てているように思えた。