「分かった。もう、いいよ」

 自分の吐き出した言葉が、ひどく冷たく感じたのはきっと己だけだろう。

「……あ?」

 事の発端は何だったか。
 ああ、そうだ。明日の夕方、私の好きな海外のアーティストが日本で個展をするから、それに行こうという約束を反古(ほご)されたことだった。
 確か、友達と約束したから、行けなくなったとかなんとか。そんなことを、彼は言ったような気がする。それに対して私が「楽しみにしていたのに」と反論したから、「また休み取る」と彼は呟いた。「チケットは期間内ならいつでもいけんだろ」と。「個展、明日が最終日なんだけど」と語尾を強めれば、「は? マジかよ」と、携帯をいじったあと吐き捨てられた「めんどくせぇな」の一言と、それに寄り添う舌打ち。

「……ごちそうさま。私、今日はもう帰るね。これ、私の分、置いておくから支払い頼んでいい?」
「は?」
「いいや、自分のは先に払っておくから。じゃあね」
「っおい」

 バーで働く彼と、OLの私。働く時間が違えば当然、起きている時間にだって差が出るから、デートと呼べるデートはあまりしたことがない。加えて彼は、少し前まで自分の店を持つためのラストスパートをかけていた時期だったから、会うことはおろか携帯で連絡を取ることさえままならなかった。でも、それでも、私は堪えれた。だって、彼の夢の邪魔はしたくないし、何より、私の一目惚れからの猛アピールで始まった関係だったから。
 付き合ってもないのにフるだなんて男が(すた)るわよ。そんな安っぽい挑発で勝ち取った恋人の座がひどく不安定なものなのは重々承知していた。だから、捨てられないように、余裕のあるいい女を演じてた。無事に店を開けれるようになって、開店を祝うパーティーが開催されたときも、私は招待なんてされなかったけれど、それでも、私は彼が好きだから、堪えられた。良かったね、おめでとう、って、ちゃんと心の中でお祝いした。