ケータイ小説 野いちご

精霊たちのメサイア

アガルタ王国
1.森の中

1.森の中


気がついたらあたり一面草木が広がっていた。右も左も、後ろも前も葉っぱと木、そして所々に小さなお花が咲いている。見上げれば青々とした空には疎らに白い雲。


(ここは一体どこだろう)

“ようこそー”

(え?)


慌てて振り返ると小さな人間がふわふわと浮いていた。それも数え切れないほどに。


“ようこそー”
“ようこそー”
“ようこそー”


いろんなところからそんな言葉が聞こえて来る。よく見るとみんな羽が生えている。

(もしかして…妖精?)

“ちがうよ、セイレイだよー”

(精霊?って、え!?)

“きこえてるー”

(私声……)


喉に手を当てた。


(こんにちは)


そう言ったつもりだが喉は震えない。やっぱり声は出てない。


“こんにちはー”
“ゆーなのこえー”
“とってもきれー”

(私の声? 分かるの?)

“わかるー”
“わかるよー”
“つながってるからー”

(どういう意味? 何が繋がってるの?)

“こことーここがー”


ひとりの精霊が私の左胸に触れ、そして次に自分の左胸に手を当てニッコリ笑った。

さらに訳が分からなくなった。


(夢? それにしてはリアル……)


高校の制服は泥だらけで、足元も泥で汚れている。片足だけローファーがなくなっている。グッと手を握ると爪が食い込んで痛みも感じる。


“えらばれたー”
“だからきたー”
“いらっしゃいー”

(どういう事? ここは何処?)

“ここは__”

(え!?)


精霊たちがいきなり蜘蛛の子を散らす様にいなくなってしまった。


(待って! こんな所にひとりにしないで!)


_ガサッ。


音がした方に目を向けると、馬に乗った男性が現れた。続いてもうひとり同じく馬に乗った男性がこちらを見下ろしている。

人に会えたと安堵したのも束の間。馬から降りた男性の腰に刺さっている物を見て背筋が凍る。


(あれって、剣?だよね…?)


今まで実際に見たことはなかったが、映画やテレビを見ていて似た様なものを見たことがある。思わず後退る。

男性はそばで足を止めると、視線を合わせる様に地面に膝をついた。姿勢が良くて、体格がよかったから若い男性かと思ったが、近くで見て違うことが分かった。ロマンスグレーの髪の毛を後ろに流し、綺麗に整えられている。口髭と顎髭が生えているけど清潔感がある。

上着を脱ぐと私の膝の上にかけてくれた。


「ローラン様!」


後ろの男性の大きな声に肩が震えた。目の前の男性は静かに手を上げると微かに口角をあげた。


「驚かせてすまないね。 何故こんな所にいるのか聞いてもいいかい?」

(わ、私も分からなくて!)


男性は一瞬驚いた顔をした。そして直ぐに困った顔になる。誰かにこんな顔をさせてしまったのはいつぶりだろうか……。


「声が出せないのか?」

(……はい)


その言葉の代わりに頷いてみせた。


「では、私の質問に頷くか首を振ってもらえるかな?」


頷いて応えると男性は満足そうな顔をした。


「怪我はしていないかい?」


頷いた。


「この森に来たことは?」


首を振った。


「従者は?」


従者って付き人みたいな人の事だよね?
首を振った。


「もしかして拐われてきたのかい?」

(…………)


頷くことも、首を振ることもできなかった。だって…分からない。

ここで目を覚ます前の事を考えた。そして思い出す。あの恐ろしい出来事を……。

震える身体を両手で抱えた。目の奥が熱くなる。

すると頬に何か当てられた。それはすぐにハンカチだと分かった。


「私はローラン。 君の名は? 字は書けるかい?」


頷いた。

彼は黒の皮の手袋を外すと、手のひらを差し出した。優しそうな風貌に似合わず、広く硬そうな手のひら。


(手のひらに字を書けって事?)


漢字だと分かりづらいだろうと思って、ゆっくりと平仮名で“ゆうな”と書いた。顔を顰められたので分からなかったのかなと思い、次はもう少し相手に見やすい様に名前を書いた。


「すまない、見たことがない文字だ」


(え? 何で!? だって貴方の言葉はちゃんとわかるのに!? 文字がわからないって……なんで……)


次は私が彼に手のひらを差し出した。


「私の名前を書けと言うことかな?」


コクコクと頷くと、彼は私の手のひらの上でゆっくりと指先を動かした。

信じられない……信じたくなかった。私も彼の書いた文字がひとつも分からなかった。


「ここはアガルタ王国。 我が国は共通語を話す。 別の言葉を話す小国もあるが、私は君の文字をどの文献でも見たことがない。 君はいったい何処から来たんだ……」


口を開くもやっぱり声は出ない。ある日突然出なくなった声。その日を境に愛情と言う名の執着と羨望と妬みと怨み……色々な物を失った。代わりに得たものは同情と無情と無関心…それも様々なものだった。けど声を失ってからの方が心は穏やかだった。だからもうこのまま声なんて出なくてもいいと思ってた。今日までは。今ほど声が出ない事を後悔したことはない。

声も出ない。言葉も伝えられない。あまりの無力さに思いを伝える方法は泣くことしかなかった。高校生にもなって泣くしかできないって……情けなさすぎて涙が止まらなかった。

涙を拭う手を掴まれ、彼は優しくハンカチで涙を拭ってくれた。


「帰る家は?」


首を振った。


「それなら家に来るかい?」
「ローラン様!! 何を仰ってるんですか!? 何処の誰かも分からない娘を連れ帰るなど危険すぎます!!」
「この子は声が出せないし文字も書けないし読めないんだ。 悪さをするなど有り得ないだろう」
「ですが__」
「妻の話し相手になってもらえると嬉しいよ」


後ろの男性はおでこに手を当てると大袈裟にため息を吐いた。

私に選択肢なんてない。

地面に手をついて頭を下げた。すると頭をポンポンと軽く撫でられた。


「では今から君の名はレイラだ」


顔を上げて頷くと、ローラン様は優しく微笑んだ。

私は訳もわからない知らない場所で、知り合ったばかりの人に新しい名前をもらった。このままついて行くことが幸か不幸かは分からないけど、このままここにいるよりはいい選択だと思えた。



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