0.プロローグ

 産婦人科医になりたい。これは、私、鈴井ひなせは14歳の時からの夢である。妹が生まれてくるのを見てから感動し、私は赤ちゃんとお母さんに寄り添える産婦人科医になることにしたのだ。

 ところがどっこい、私に実家はド田舎中のド田舎、秋田県の山奥である。同級生はたった一人、お隣の隼人だけという過疎っぷりである。うちはお金がないため、国立大学の医学部しか選択肢がないのだが、このままこの田舎にいると大学にすらいけないと思い、中学2、3年の2年間を勉強に全振りした。大阪の進学高校に行き、そこから国立大学の医学部を目指すことにしたのだ。

 そして、血のにじむような受験生活が終わり、私は晴れて大阪の私立名門女子高に特待生入学することができた。両親は田舎を出ずに育ったため、「大阪は怖いところだ」「大阪は鬼がでるんだぞ」とか言って、全力で私を田舎に引き留めようとしたが、ここまできたからには引き返すわけにはいかない。まだ見ぬ都会への期待と少しの緊張を胸に、盆と正月とGWは帰省するという約束で、単身大阪へ旅立つことになったのだった。


1.あの日

 「現代文の成瀬ってさー、絶対やりちんだよねー。ねぇひなせ?」マヤが言う。
「え?!や、やりちんって、マヤ、なにいって...」私は顔を赤らめた。
「ひなせかわいい笑。だってね、成瀬ってめっちゃ手きれいじゃん?やりちんは女の子に触れた時に傷つけないように、爪とかきれいにしてるんだって」
マヤは続ける。
「あとね、成瀬って色っぽいよねー。髪の毛書き上げてる感じとか、腕まくりしたときに見える筋肉とか、エロくね?」マヤの大きな瞳が私をのぞき込む。
「//////////」私は顔を真っ赤にして押し黙ってしまった。

 マヤは私が一番仲の良い大阪人である。マヤは私よりもたくさんのことを知っていて、学校では習えないこともたくさん教えてくれる。頼れる都会の少女という感じなのだが、こういうオトナな話をされるとなんだか恥ずかしくなって、私はいつもうまく話せない。

 現代文の成瀬先生。あの先生は謎だ。東大の法学部を卒業後、サッカーコーチになり、その後この学校の現代文の教員となった。なぜ法学部を卒業してサッカーコーチになったのか、天才の考えることは本当にわからない。

しかし、スポーツをしていただけあってその体には適度に筋肉がついている。マヤの言う通り、腕まくりしたときに見えた筋肉質な腕は自分の腕と全然違い、たくましかった。先生の腕はツルツルだった。毛がきれいに処理されていた。マヤいわく、やりちんはそういう場面になったときに毛で相手の体を傷つけないようにつるつるにしておくらしい。
また、現代文の先生だけあって、語彙が非常に豊富である。文豪のようにむつかしい言葉を使う。しかしその一方で先生の話はとても聞きやすく、脳に直接語り掛けられているような気になる。

そして何より、成瀬先生の顔は芸術品のようだ。二重幅がきれいな目で、鼻は筋が通っていて高く、唇は柔らかそうでいつも湿っている。横顔はEラインがとても美しく、うっとりと見とれてしまう。こんな風なことを授業中に考えながら成瀬先生を見ていると、時々見透かされて様な目で私と目を合わせてくる。こうなってしまうと私はドキドキする。これがマヤの言う「エロい」というものなのだろうか。