どろり――

 ビーカーの中、音もなく液体が揺れる。それは人が飲むとは思えない泥水のような濁った色をしていたが、イリーナの眼差しは美酒を前にするかのようだった。

「ふふっ……私、天才じゃない? 知ってたけど!」

 アレンの前では怯えて悲鳴を上げるばかりのイリーナも自らの功績の前では威勢がいい。

「いよいよ計画を実行に移す時が来た。この日を待ちわびたわ」

 注がれる眼差しには長年の悲願成就を目前に控えた喜び、そして自身の天才的な功績への称賛が込められている。

「そう、これこそが私の導き出した破滅回避の答え!」

 ――いざ!

 腰に手を当ててからの一気飲みという、令嬢らしからぬ煽りっぷりである。何しろこの見た目だ。正気になっていたら飲めたものではない。
 最後の一滴まで飲み干すと手からビーカーが滑り落ちる。喉を押さえてのたうち回り、机の資料を巻き込みながらイリーナは倒れ込んだ。

「まっっず!!」

 内側からわき上がる衝動にもがき苦しむ。前世も含め、未だかつてこれほど不味いものを摂取した記憶はない。

(えぐい渋みからの舌を焼く辛みに飲み干しにくいとろみ!)

 我ながら大変な物を開発してしまったと思う。前世に存在した青汁を軽く凌駕する飲みにくさだ。次に何を食べても同じ味に染められるような絶望感と、今後美味しいご飯が食べられるかという不安がつきまとう。
 それでもイリーナは最後まで飲み干した。舌は「これやばい!」と訴え続けていたが、涙目になろうとこれが運命を変える鍵になると信じていた。
 もう一年猶予があれば無味無臭に改良できたかもしれないが、運命の時は迫っている。これ以上、研究に猶予は残されていなかった。

「うっ……?」

 絶望的な味わいに身体を支配されていると、奇妙な目眩に襲われる。見慣れた研究室の景色がぐるぐる回り、机に縋り付いても立っていることが難しくなった。苦しみや苦痛は感じないが、ただひたすら世界が回っている。
 崩れ落ちるように床に倒れると、まるで時間が巻き戻るように幻を見ていた。これが走馬燈ではないことを祈ろう。