今思い返しても、王妃ルナティアに声を掛けられるまで、何をどう行動していたのか記憶が曖昧で、情けない事に覚えているのはただただクロエを見つめていた事だけだった。
そんなイサークにルナティアが声を掛け、驚く事にお茶でもどうかと誘ってきた。
「クロエは早々に下がってしまったわ。此処に居ても、頭にお花を生えさせた金色の小蠅が煩く付きまとうだけよ?」
と、悪戯っぽく笑う。
頭に花云々・・・とは、言わずもがなロゼリンテの事だとすぐにわかり、チラリとそちらを見れば、彼女は他の貴族と挨拶しつつもイサークをガン見している。
ぞわりと悪寒が走り、此処は王妃の言葉に甘えた方が良いだろうと、国王にその旨挨拶を済ませルナティアに手を引かれ会場を後にしたのだった。

部屋に向かう道すがらルナティアはおかしそうに笑うので、「どうかされましたか?」と聞けば、
「皇子が会場を出る時のロゼリンテの顔を見た?周りの人達が一歩後退っていたわ。愉快だわ~」と、まるでスキップでもしそうなほど上機嫌である。
その内容にもだが、あまりに気さくな言葉遣いに思わず瞑目すると、「エドリード様ともこんな感じよ。私の事はルナティアと呼んでね」と、いたずらっ子の様にウィンクしてくる。
その可愛らしさに思わず沈んでいたい気持ちがふんわりと温かくなり「では、私の事はイサークとお呼び下さい」と、自然な笑顔で返すことが出来た。
王妃とは部屋に着くまで他愛無い話をしていただけなのに、あの絶望的な気持ちが欠片も無くなるほど、不思議とその話に引き込まれていった。
そして部屋に着きドアを開け彼女が一歩部屋に入ったとたん「あらあら・・・そんな恰好で。困った子ねぇ」と、ソファーへと進んでいく。
入っていいものか悩んでいたイサークをルナティアが側に来るよう促すので、ソファーを覗き込めば白く丸いものがそこに横たわっていた。
よく見ればそれは人で・・・・
「っ!クロエ姫・・・」
愛しくて愛しくてたまらない姫が穏やかな表情で横たわっているではないか。
「湯あみをしてそのままで来たのね。風邪を引いたらどうするのかしら・・・・イサーク様、申し訳ありませんが手を貸してはいただけませんか?」
ちゃんと髪も乾かしていないのだろう。しっとりと濡れた黒髪は冷たく、シーツにくるまり小さくなっているクロエを見ると、まるで凍えているように見える。
恐々とクロエの横たわるソファーに近づき腰を落とし、その顔を覗き込んだ。
「この子、よほどの事が無い限り起きないから、大丈夫よ」
ニコニコしながら状況を見ているルナティア。
未婚のうら若き女性。しかも一国の姫君で、シーツ一枚だけの状態。
ましてや一目惚れした女性でもあり、諦めなくてはいけない女性。
自分が触れてもいいのだろうかと一瞬、躊躇したものの「これが最初で最後なのかもしれない」と思えば、僥倖としか言えない。
なるべく振動を与え無いよう優しく抱きかかえると、その軽さに驚き、ふんわりと香る柔らかな匂いに眩暈を覚えた。
そして無意識になのだろうか、縋りつく様に自分の胸にすり寄ってくるクロエに、自分はきっと今にも泣きそうな表情をしていたのかもしれない。
ルナティアはちょっと困った様に笑うと、そのまま一旦、ソファーに座るよう促してきた。
そして、胸元で合わさっていたシーツをゆっくり開きその白い肌をあらわにした。
「なっ!」
動揺に思わず声を上げそうになるのをぐっと堪え、非難するようにルナティアを見みるが、彼女は全く気にすることなく見ろと言わんばかりにクロエの胸元を指さした。
きわどく開かれた胸元に恐々と視線を向けるとそこには、白く滑らかな肌には不釣り合いな、まるで傷跡の様な紅色の盛り上がりがあった。
「・・・・これは・・・・」
「貴方には、これが何に見えますか?」
「まるで・・・傷跡のようです。剣に刺されたかのような、そんな・・・」
「そうですね。これは貫通したかのように背中にもあるんですのよ」
その言葉に、まさか・・・とルナティアを見れば小さく首を横に振った。
「クロエは刺された事はありません。これは彼女が五才の時に現れました。・・・・まぁ、その話もこの子を部屋に運んだ後でお話ししましょう」
そう言うと立ち上がり、室内にあるドアを開いた。

クロエを送り届けルナティアの部屋に戻ると、侍女のカイラがお茶を用意して待っていた。
「この通路はクロエの部屋と繋がっているの。人目に付かず私の部屋に来られるから、何時もあんな格好なのよね。困ったものだわ」
そう言いながら、優雅にお茶を飲むルナティアの眼差しは優しい。
イサークもお茶を一口飲むと、そこで初めて喉が渇いていたのだと自覚する。
互い一息つくと、ルナティアがいきなり核心に切り込んできた。
「イサーク様はクロエをどう思います?」
「・・・それは・・どういう・・」
「言い方を変えますわ。クロエの事、好きですか?愛してます?」
今日初めて会ったばかりの二人。だが、ルナティアは何処か確信があるよな、そんな強い眼差しでイサークを見つめる。嘘、誤魔化しは通用しないと。
「・・・・クロエ姫を、私は・・・愛しています。本日初めてお会いしたのだというのに・・・おかしいですよね」
苦し気な表情で告白するイサークに、ルナティアは納得したように頷いた。
「例え運命が変わろうと、惹かれ合う・・・・これは宿命ね」
「宿命?」
「えぇ、イサーク様とクロエの事ですわ」
「私と姫?」
「そうです。ですがその話の前に、こちらに来られる際、エドリード様から何か言われましたか?」
「父からですか?・・・・そうですね、ルナティア様の故郷について勉強するようにと。それと、託宣を頂けるといいな・・・と」
その言葉に器用に片眉を上げる王妃。
「そう。では私の故郷に関しては、どう思いました?」
王妃ルナティアの故郷は、帝国から見て極東の島国、シェルーラ国という。
その国は鎖国はしていないものの、あまり積極的に他国と交流をする事が無い、どこか神秘的な国でもあった。
交流が少ないからと言って他国との文明に差があるわけではない。
どちらかと言えば、他国に頼らずともその国は豊かに栄えている。
そして、神秘的と言われる所以。稀に未来を見る事が出来る人間が生まれるのだという事。
「人は千里眼というけれど・・・それは違うのよ?そこからお話ししましょうね」
そう言いながら、カイラにお茶のおかわりをお願いし、小さく息を吐いた。