リージェ国が解体され、帝国に攻め込んできた新国王ガルドが死んだ。

その衝撃的な出来事は、瞬く間に大陸中、世界中に知れ渡る事となった。
解体され、それぞれの国が治める事となった旧リージェ国は『リーフェ連合国』として新たに生まれ変わった。
当然の事ながら宗主権はルナティアが治める国『リーフェ国』である。
『リーフェ』とはこの世界の古語で『光』を意味していた。
各国が自国の名を決めた時、連合国の総称もルナティアの国の名前にしてしまったのだ。
勿論、ルナティアは大いに反対したのだが、全会一致で決まってしまった。
最早、連合国と言うよりはルナティア帝国と言っても過言ではない。

まだ、ごたごたしている筈なのに、こまめに手紙をくれるルナティアにクロエは「心配をかけてしまったわ」と、小さく溜息を吐いた。
ガルドから告げられた真実と彼の死に、数日は無気力感に苛まれ寝込んでいたが、イサークやケイト達、そしてルナティアやルドルフに励まされ、今では公務をこなせるまでに回復した。
だがやはり不意に思い出してしまう。
思い出してもどうしようもない事だとわかっているのに。

『次に目覚めた時に、会いましょう』

最後にガルドへかけた言葉。無責任な事を言ってしまったと、後悔するクロエ。
ガルドが命を落とすことなく、戦もない幸せな人生をおくって欲しい。
ただ、心から願ったのだ。
血を飲んだからといって、自分達の様に逆行など出来るわけが無い。
あれはシェルーラ国の限られた人間にしか、現れない現象なのだから。
それでも、願わずにいられなかったのだ。
自分の為に世界を征服しようなどと、そんな事を考えなくてもいい世界。

だが突き詰めていけば、全て自分のためなのだと気付き落ち込んでいく。
ガルドのためと言いながら、自分の所為で世界は崩壊したといってもいいその事実から、逃げたいだけなのだ。
前の人生の事はルドルフから聞いていた。あの時は、そんな事になっていたのかと驚き悲しんだが、イサークに殺された事の方が辛くて悲しくて、あまり深く考えていなかった。
だが、その裏の真実を知ってしまえば、それに対する言葉など見つかるはずもない。
だから、出来るかもわからない逆行をさせる真似事をして、自分に圧し掛かる罪悪感を軽くしようとしていた。

全ては自分の為に・・・

ガルドの幸せを願った気持ちは嘘ではない。心の底から思っている。
だがその延長線上に見え隠れする、保身。
それが許せなかった。

ルナティアからの手紙を机に置き、窓の側に立ち空を眺めた。
何処までも続く青い空。所々に浮かぶ白い雲。
先日までは、空を見上げる暇すらなかった。
穏やかに流れる、雲、風、そして時間。
クロエは心を無にして、瞳を閉じた。
兎に角、何も考えたくなかった。
「ふぅ」と溜息を吐き、壁に凭れる様に立っていると、不意に肩を引かれ抱きしめられた。
「イサーク様?」
何時の間に来ていたのか、入室していた事すら気付かないくらい、ぼうっとしていたのかと焦るクロエ。
そんなクロエを心配そうに抱きしめるイサークは、どこか辛そうな顔をしていた。
「大丈夫か?」
「えぇ、皆さんのおかげでだいぶ良くなりました」
「そうか?・・・・無理はしないでくれ」
「はい。ご迷惑をおかけして、すみません」
「迷惑だなんて思わない。―――まず、座ろうか」
そう言って、クロエと共にソファーに座った。そして、
「クロエ」
「はい」
「クロエの今思っている事を、教えてくれないか?」
「え?」
「クロエは、ガルドがしでかした一連の騒動は自分にも責任があると考えているのではないか?」
端的に言い当てられ、クロエは言葉に詰まる。
「やはりな・・・・。だが、それは間違っている」
「間違って、いるの?」
「あぁ、そうだ。クロエには何一つ責任は無い」
きっぱり言い切るイサークの顔は、夫と言うより皇帝の顔をしていた。
「第一に、クロエはガルドとの面識はない。奴が勝手に入れ込んでいただけで、偏った考えからの暴走による完全なるとばっちりだ」
この言葉に、クロエは驚きに瞬きを繰り返した。
「それに、クロエを手に入れるために世界征服を考えるなんて、おかしいだろ?本当に手に入れたいならば、フルール国に足を運び、まず自分を覚えてもらう事からじゃないのか?」
イサークの言う事は理路整然としていて、心を締め付けていた罪悪感が彼の言葉で一枚、また一枚と剥がれていくかのように、呼吸が楽になっていく。
「何処でクロエを見たのかはわからないが、一国の王子であるならば、隠れてコソコソと見ているのではなく、使者として堂々と会いに来ればよかったのだ」
言われて初めて「確かに」と、今更ながらに納得する。
ガルドとは、対峙した時に初めて顔を合わせた。所謂、初対面だった。なのに、クロエの為に世界征服をしようとしていた。
ルナティアから言わせれば「頼んでもいないのに、大きなお世話だ」と、激怒していたと聞く。
自分に何度も「私の所為ではない」「私は知らない」と繰り返しても、罪から逃れる言い訳にしかとらえる事が出来なかった。
なのに、自分以外の人から順序立てながら常識を説明されると、いかに自分で自分を追いつめていたのかが良く分かった。
少し惚けたようにイサークを見上げれば「そう思うだろ?」と、同意を求める様に首を傾げる。
気付けば、心を縛る罪悪感は消え失せ、ほんの少しだけ残る痛みは忘れてはいけないものと、そっと胸に手をあてた。
そして、自分でもわかる位、久し振りの心からの笑みを浮かべ軽口をたたいていた。
「―――変装して会いに来ていたイサーク様が言いますの?」
思わぬ反撃に、驚いたように目を見開くも、次の瞬間、見惚れるほどの笑みを浮かべクロエを抱きしめた。
「あぁ、そうだな」
「―――ありがとうございます」
「礼など必要ない。これはクロエの為と言うより、俺の為なのだから」
「イサーク様の?」
「そうだ」
そう言って身体を少し離し、互いの額を合わせた。
「最愛の妻が、俺以外の男の事で心を痛めているなんて・・・俺以外の男の事を考えているなんて、許せるわけがないだろ?」
イサークの言葉に、サファイアブルーの瞳が零れんばかりに見開かれる。
「俺は愛しい妻に関してだけは、狭量なんだ」
何処か自慢げに宣言するイサークに、クロエはくしゃりと表情を崩した。
「ありがとうございます・・・イサーク様、愛してますわ・・・誰よりも、何よりも、貴方だけを」
そう言って、溢れんばかりの想いをそっと口付けにのせた。
夜の閨くらいでしか、クロエから口付けられることが無かったイサーク。
一瞬、何が起きたのか分からず惚け、まるで熱が上がったかの様に真っ赤になった。
滅多に照れる事の無いイサークの表情に、自分でしておきながら伝染したように照れ始めるクロエ。
熱を逃すかのように俯くクロエをいきなり抱き上げ、人一人抱えているとは思えないほどの足取りで、寝室へと急ぐ。
「イサーク様!?」
「ごめん、クロエ。もう、我慢の限界」

「何が!?」と叫びたいクロエだったが、深い口付けに阻まれ、言葉を紡ぐ事は出来なかった。