大聖堂に荘厳な鐘が鳴る。
 この日大聖堂に押しかけてきた民衆は、本日の主役であるハーターシュタイン公国大公テオドールの登場に歓声を上げた。
 それもそのはず、今日この国の指導者である大公は花嫁を迎えるからだ。
 馬車から降り立った大公はダークブロンドに青い瞳。溢れる気品は隠しようがない。そんな彼は隣に座る花嫁ジル・フォン・シュタウフェンベルクの為に手を差し伸べた。

「あ、有難うございます」

 ダラダラと汗を流し、脂肪を揺らしながらなんとか馬車を下りるジル。
 ふくよかなジルにとって、コルセットで縛り上げられ、密室である馬車に長時間閉じ込められるのは、拷問だ。

 ゼイゼイと息を上げながら麗しの大公の手を借り、地面に足を付ける。

 ジルの登場に民衆は水を打ったかのように静まり返ったが、数秒後空気を読んだ大歓声が大聖堂前の広場で響き渡った。

 つい先日18歳になったジルはプラチナブロンドに新緑色の瞳、白い肌を持ち、色彩だけで言うなら可憐なのだが、彼女の身体の厚みが全てを裏切る。――つまりは太っているのだ。

「皆、君に見惚れているよ。手を振ってあげなさい」

 大公は微笑みを浮かべ、ジルを促した。
 ジルはそんなハズないという事は百も承知だったが、ベールに隠された顔に苦笑いを浮かべ、群衆に応えた。

 不安で胸が押しつぶされそうだった。

(どうしてこんな急に……)

 ジルに結婚の話が舞い込んできたのは、今からちょうど1ヵ月前の事だった。

 1年以上続いている隣国トリニア王国との休戦を良い機会として、また、未来への明るい希望として、大公は公国の重臣であるシュタウフェンベルク公爵の一人娘ジルを正妃にと望んだ。

 身分的には釣り合いが取れているのものの、容姿の釣り合いが取れていない2人は社交界では噂のネタになり、ジルはこの1ヵ月間嘲笑に晒され続けた。
 それに耐えるのは非常に辛く、また、結婚が決まってからほんの2回しか会う事の出来なかった大公が、ほんのひとかけらも自分に興味を持っていないという事を嫌という程思い知らされてしまっているジルは、暗澹たる気持ちでこの日を迎えた。


「ジルよ。シャキっとせえ。お前はこれから大公の正妃として、そして未来の国母として存在感を示さなければならんのだからな」

「ここ……国母!?」

 父であるシュタウフェンベルク公爵にまるで売られていく子牛の様にバージンロードをエスコートされ、ジルはブルブルと震える。

「うむ。お前はシュタウフェンベルク家の誇り。しっかりと励むのだぞ」

「私、ファーストキスは好きな人とやりたかったのに!」

「たわけた事を申す出ない! 妄想の世界の王子をさっさと殺めるのだ!」

 大公の目前で言い争いを始めた親子の姿に、大聖堂は白けた雰囲気に包まれる。

「この通りのバカ娘ですが、宜しくお願いいたします」

「ああ。彼女はこの国にとってかけがえのない存在となるであろう」

 無情にもジルは大公に引き渡される。

「お父様……!」

「ジルよ……。儂はお前が小さい頃から、この日を夢見ておった。しかし身を切るような寂しさもあるよのう……」

 公爵は感動的なセリフを吐き、足早に去って行った。

(私、結婚するしかないのね……。この式が終わる間に、幸せだと百回唱えて暗示をかけるわ)

 大司教の厳かな言葉を放心状態で聞きながら、ジルは必死に大公の良い所を数える。
 この日がくるまでにもう何回もやって来た。

(麗しいお顔に、引き締まった体躯、物腰柔らかく、堂々とした態度、頭脳は明晰で、武芸も秀でていると噂で聞くわ! 何よ! いい所ばっかりじゃない。私には勿体ないくらいだわ!!)

「それでは誓いのキスを」

(ヒィ!)

 大司教に促され、ジルは大公に無理矢理向き合わされる。

 ベールの向うに微笑みを浮かべる彼が見える。今からこの男と人前でキスをしなければならないのだ。この国の女ならば誰もが羨むキスを。

 ベールを上げられ、グニッとたるんだ顎を持ち上げられる。
 間近で見つめる青い瞳に何の感情も浮かんでいないのが読み取れ、ジルは耐えきれずに目を閉じた。
 大公の顔が近づいてくる気配。ジルは背にダラダラと冷や汗を流しながら、初めての感触を待つ……が、いつまでたっても唇に何も触れない。顔のすぐそばに気配はあるというのに……。