「しかし困ったな。これからどうするか……」
「どうするとは?」

 今晩もカミュさまのお部屋の椅子に座って、カミュさまのお仕事が終わるのを待っていた時でした。お風呂も終わり、カミュさまからは「先に寝ろ」と言われているのですが……また無理やり押しかけた形ですね。

 私が職務を全うすべく待機していると、カミュさまは突如ペンを置かれました。

「あんたは日中にやりたいことなどないのか?」
「……お昼にはカミュさまにお弁当を運ぶ、のではないのですか?」

 私は肩に乗せていた羽織を引き寄せます。ネグリジェ一枚では寒いからと、これもカミュさまが買ってくださったものです。もこもこで、とても暖かいのですよ。

 だけど、振り向いたカミュさまの眉間には険しいしわが寄っています。

「そのつもりだったのだが、今日みたいに人さらいに遭ったら――」
「そ、そんなのたまたまですよ!」

 わわわ、もしやカミュさまは私が毎日あんな目に遭うとお考えなのですか⁉ そんなわけないじゃないですかたまたま……そうですよ、たまたま人に騙されちゃっただけでそうそう簡単に……。

 ああ……でもカミュさまの視線が鋭いです。これはあれです。「あんた毎回引っかかるだろう」みたいな目です……でも、困っている人がいると言われて見捨てるのも……。

 私があわあわしていると、カミュさまはため息を吐かれます。

「まぁいい。ゆくゆくは掃除など家のことを教えるが、ちょっと立て込んでいて当分また休めそうにない。それまでは昨日みたいに散歩がてら弁当を届けてくれ。危ないとはいえ、いつまでも街に慣れないのも困るだろうからな。警邏担当の者たちにも話しておくことにする」
「あ、ありがとうございます……?」

 なんか口早に話されて理解が追いついてませんが、とりあえず取り計らってくれるようです。
 だけど、不思議に思うことがあります。

「しかしながら……どうして私にお弁当を運ばせようと思われたのですか?」
「何か仕事を与えておかないと、何されるかわからないからな。さすがに毎晩掃除の後始末をさせられるのは困る」
「あ、その説は大変申し訳――」
「別にいい。気持ちはとてもありがたかった。だが、当分余計なことはしないでくれ。何事にも順序というものがある。とりあえずは弁当運び、いいな?」
「はい……」

 私はかろうじて返事をします。

 別に、お弁当運びが不満なわけではありません。でも……もっと空いている時間はあるのです。こんなにもお世話になっている以上、お役に立たないと申し訳なさすぎて……。

 私が縮こまっているも、カミュさまのお話は続きます。

「やる気があるのはいいことだ。だが、出来ないことをいきなり一生懸命やっても、ただ無謀なだけ。わかるか? 苦手なことでも、少しずつ克服していけば、必ずいつかは出来るようになる。どうせ頑張るなら、しっかりと順序立てろ。その手伝いくらいなら、俺が手を貸してやる――と、階級が下の俺に言われるのも癪かもしれんが」

 そのお言葉に、私は思わずポカンとしてしまいました。何でしょう……初めて言われたことで、色々と思考が追いつきません。

 そのお話は、まだまだ続きます。

「弟からあんたの経歴は聞いている。いいか、空いた時間は化粧や髪をまとめる練習をしていろ。そのための簪だ。それが出来るようになったら、他の仕事も徐々に教えるから」

 どうやらクロとも私の話をするほど仲良くなってくれたようです。とても嬉しいことです。だけど……お化粧はともかく、髪もですか?

「髪は纏めなくてもいいのでは?」

 このフワフワにしてもらった髪は、正直お気に入りだったのですが……カミュさまはきっぱりと言い放ちます。

「いや、あんたならなんかの拍子に燃やしかねん」
「……クロから一体何を聞いたのですか⁉」
「世の中、聞かない方がいいこともある」

 え、怖い! クロぉ、一体どんな恥ずかしい話をしてしまったのですか⁉
 もう……今すぐクロを問いただしたいですが、クロはもう寝ている時間です。

 だけど、少し不思議な気持ちでした。今まで私が出来ないことは、クロが「僕がやるから」と言って、何でもしてくれていたのです。それなのに、カミュさまは「少しずつ出来るようになれ」とおっしゃります。

 言うことが真逆です。

 それでも……なぜでしょう。カミュさまのお言葉に私の胸は高鳴ります。まるで明日楽しいことが待っているような……こどもみたいにわくわくしてしまいます。

「……カミュさまは、まだ寝ないんですか?」
「まだ仕事が終わらない」
「急ぎのお仕事なんですか?」

 そんな今の私でも、出来ること。私の背中を押してくれるカミュさまに、応えられること。

「俺が仕事をすればするだけ、陛下のお立場が盤石なものになる」
「よくわかりませんが、どうしても今日中に終わらせなきゃならないお仕事はないんですね?」

 カミュさまがどうして常にお仕事大好きなのかはわかりません。

 だけど今日も十分夜が更けています。今日は色々なことがあって疲れているというのもありますが、それがなくてもとっくに寝ていておかしくありません。ベッドの下に定位置を見つけたギギは、とうに寝息を立てています。水色の首輪が気に入ったのか、心なし表情が柔らかいです。

「話はおしまいだ。あんたはもう寝ろ。俺は仕事に戻る」

 カミュさまはそう告げると、それきり口を開きませんでした。瓶から飴を取り出し、口の中に放り込みます。そしてガリガリと噛みながら、ペンを走らせて。眉間には相変わらず深いしわ。

 その横顔を見ながら、私はいつになく真剣に言いました。

「もう寝ましょう」
「……今日は命令と言わないのか?」
「気が引けるので、あまり使いたくないんです」
「ずいぶんとお優しい将軍様だ」

 カミュさまは軽く笑い飛ばしてますが、私はとっても真面目なんです。確かに「命令」といえばカミュさまは業務の一環として聞いてくれますが、どこか寂しいなと思ってしまうのです。

 だから、私も考えました。

「どーしても、今一緒に寝てくれないんですか?」
「たとえ陛下の命とあれど、理に粗ぐわぬとあらば時に真を貫くのも臣下の務めです」
「……そのお話はよくわからないので、脱ぎます」

 私は立ち上がり、羽織をバサッと床に落としました。その音でこちらを向いたカミュさまは腰を浮かせて、目を見開いております。

「あん……た、何をしているんだ?」
「服を脱いでいるんです」

 私がネグリジェに手をかけると、慌てて近づいてきたカミュさまが私の手を押さえました。見たことがないくらいに狼狽えておりますが、ここで引いては作戦が台無しです。

「冗談で誤魔化そうとしたことは謝る! だが、あんたもどこでそんなのを覚えてきたんだ⁉」
「内緒です!」

 私は本業だって一生懸命なのですよ! 

 実はお買い物の時、洋服屋の女店員さんに聞いたのです。男性にお願いごとをしたい時はどうすればいいですか、と。そうしたら「服を脱ぎながらおねだりすればイチコロですよぉ」と言われました。

 正直とても恥ずかしいですが、

「わかった! 寝る、今すぐ寝るから!」

 と額を押さえながらも発せられたお言葉に、私は笑みを零さざる得ません。

 そしてその日もカミュさまは目を瞑るだけで寝ている様子はなかったので、私は子守唄に魔法を混ぜます。

 そしてカミュさまのあどけない寝顔を見ながら、私もいつの間にか寝入ってしまいました。今日も一緒に眠るベッドはとても温かく――

 やっぱり翌朝、二人して寝坊ギリギリまで起きられませんでした……。