その日僕はスマホの耳障りな着信音で目を開いた。

 一緒に寝ていたはずのハルカの姿が無い事に気が付いたが、とりあえず鳴っているスマホに手を伸ばす。

 【母さん】と、表示された画面をスワイプする。

『もしもしカナタ?』

「うん、どうしたの?」

『寝てたの?』

「うん」

 返事をしながら壁の時計を見ると9時を少し回っていた。

『ハルカの見送り行かなかったの?さっき電話したら圏外だったんだけど、ちゃんと行ったのよね?』

「は?」

 見送り?行った?ハルカが?何処に?

 寝ぼけていた意識は一瞬で覚醒したけれど、母さんの言葉の意味が理解出来ず頭の中を単語だけがぐるぐる回る。

『は?じゃないわよ、もう、見送りぐらい行ってあげなさいよ。ちゃんと搭乗手続き出来たのかしら?』

「ちょ、待って!言ってる意味がわからない、ハルカが何処に行ったって!?」

『もしかしてハルカから聞いてないの?』

「何を!」

『おかしいわね、カナタには言ったってあの子言ってたのに』

「ハルカは!」

『フランスに行くのよ、留学で。こないだ夏休みに帰って来た時に手続きして』

 フランス?

「・・・時間は!飛行機の時間!」

『確か10時だったと思うけど』

「また電話する!」

『ちょっとカナ』

 何かを言い掛けていたが通話を終わらせて、すぐにタクシーを呼んだ。手近にあった服を着て家を出る。

 タクシーが来るまでの5分がやたらと長く感じた。

 なんでなんでなんでなんでなんで・・

 「空港まで!」

 タクシーに乗り込んで叫ぶように言う僕に運転手が怪訝な目を向ける。

 渋滞もなくスムーズに空港に着いて、財布から出して握り締めていた5千円札を渡してお釣りも受け取らず飛び降りた。

 空港の広さに文句を言いたい気持ちを抑えて、飛行機の発着が書かれた掲示板に目をやり10時発の便の搭乗口に走る。

 エスカレーターを駆け上がる僕を何事かと視線が集まるが構っている暇はない。

 ようやく視界に搭乗口を捉え、周りに視線を巡らせる。

 滑走路を一望出来る大きなガラスの前に見覚えのある背中を見つけて叫ぶ。

「綾!」

 綾は僕の声に振り返り、一瞬驚いた表情を浮かべた後、困ったように視線を斜め下に落とした。

「カナタ・・」

「ハルカは!?」

 何も言わずに滑走路の方に向いた綾は、青々とした空を背景に悠然と駆け上がって行く白い機体に視線を送った。

 その仕草で全部わかった。全部わかってしまった。

 さっきまであんなに強く地面を蹴っていたはずの足から力が抜け、僕はストンとその場に膝を突いた。

 まるで水の中にでもいるかの様に全身が重い。

 様々な想いが頭に浮かんでは消え、最後に残ったものは空虚だけだった。

「どうして・・」

 辛うじて漏れた声は自分ではない誰かのものに思えた。

「ハルカ・・」