嘘みたいに整った女の子の顔が目の前にあった。

 距離にして15センチ。女の子特有の甘い香りが僕の鼻孔をくすぐる。

 メイクが崩れているにも関わらず大きな瞳。スッと通った鼻筋、柔らかそうな唇にシャープなラインを描く輪郭。少し乱れてしまっているが、肩までの真っ黒な髪は思わず指を入れたくなる程艶がある。

「・・カナタァ〜」

 僕の名前を口にした途端、綺麗な黄金比をした顔がクシャッと崩れて、大きな瞳にあっと言う間に涙が溜まる。

 涙袋のキャパシティをいとも簡単に超えた。

「ハルカ、今度はどうした?」

 15センチの距離で大粒の涙を止めどなく流すハルカの泣き顔に、心臓が凍りつく様な痛みがするが、それを悟られない様にそっと頬を流れる涙を拭ってやった。

「一樹さんがまた一カ月出張なの〜!」

「それは仕方ないだろ、別れるわけでもあるまいし」

 僕の言葉にハルカがキッと睨んでくる。

「当たり前じゃん!別れるとか有り得ないし!」

「泣いたり怒ったり忙しいヤツだな。つか、そんな事僕に言われたってどうしようもないぞ」

「別にどうにかして欲しいわけじゃないし!」

「わかったわかった」

 僕は『いつも通り』ハルカの頭に手を置いてゆっくりと撫でてやる。不貞腐れた顔をしていたハルカは瞼を下ろし、同じ様に頭を下げてあぐらを組んでいた僕の脚に顔を乗せた。

 丸まった猫の様に腕と膝を畳んだハルカの頭を撫でていると、やがて規則的な寝息に変わる。

 この時間だけは、ハルカは僕の物。

 唯一、ハルカが僕の物になる時間。

 スカートから覗く白過ぎる太腿は無防備に晒されて、グロスの所為で艶やかな唇は僅かに開いて誘っている様に見える。

 僕が身体を折れば、15センチの距離は簡単に、呆気なく、何の障害もなくゼロになる。

 16年間欲しくて堪らなかったものが目の前に無防備な状態で置かれていて、遮る物も邪魔する人間も今ここには居ない。

 今ならば手に入る。

 それが刹那の時でも。

 全てを失う覚悟さえあれば。

 気付けばギリギリと音が鳴っていた。その歯の擦れる音が、まるで自分の心臓から鳴っている気がして僕は俯いた。

 目の前にあるハルカの顔に残る涙の跡が視線を捉えて放さない。

「僕なら・・・涙なんて流させない・・」

 僕はギリギリと自分の中から聴こえる音を聞いていつまでも俯いていた。