(嫌な予感しかしない)

 ジュリウス・オルフォンスは父と兄によって事実上『連行』され、王宮の国王謁見の間にて片膝をついていた。

 何故《なにゆえ》このような状況になっているのか皆目見当もつかない。しかしながら、

「陛下に呼ばれたゆえ、致し方なし」

 と、父から言われてしまえば反論は許されない。当然ながら「否」と拒否するなど不可能だ。おとなしく従うまでであった。

 はあ、と胸の内でため息をつきつつ、国王が現れるのを待つ身は文字通りの『俎板の鯉』である。とはいえ、なんとなく呼び出された理由を予想できなくもない。

(ちょっと遊びすぎたかな)

 家柄よく、見栄えよく、弁も立ち、若く独身であるため、妻の座を射止めようと言い寄ってくる女が後を絶たない。つまみ食いをして浮き名を流す日々を満喫している。それを『やりすぎ』と父が判断したのかもしれない。

(まぁ、それならそれで、親善大使あたりに任命して外国に流してくれたっていい。むしろそのほうが身も軽くなるだろうし。あーー、俺ってワルよのぉ)

 などと考えていると、ガチャンガチャンと甲高い金属音が聞こえてきた。間もなく高座の奥の扉が開き、国王が現れる。父や兄とともに深く叩頭し、礼を示す。

 衣擦れの音とともにカタンと小さな音がして、国王が玉座に腰を落ち着けたことを察した。

「わざわざの足労、すまぬな」
「陛下の御命により参上仕りましてございます」

 父の重々しい口上を聞きながら、ジュリウスは早く要件を聞いて立ち去りたいものだと誰にも気づかれないよう小さく嘆息する。

「本日の用向きは次男坊のジュリウスであるが」
「ジュリウス・オルフォンスなれば、ここに」

 名を呼ばれ、返事とともに胸に手を当てて一段身を低くする。頭上から「うむ」と声が聞こえた。

「顔を上げよ、ジュリウス」
「は」

 言われて従えば、国王とバッチリ目が合った。

(うわ、なんかものすっごく嫌な予感)

 などと思うが、もちろん顔には出さない。

「ジュリウスよ、そなたに折り入って頼みたいことがあるのだが、聞いてはもらえぬか」

 質問の形式を取っているが、どこをどう解釈しても質問ではないことは明白だ。なぜなら語尾が上がっていず、下がっていて断言口調であるからだ。ジュリウスの口角は一瞬だけへの字に曲がったが、すぐに笑みへと変わった。

「陛下よりそのようなお言葉を頂戴するとはなんとも名誉でございますが、頼みとは、また――?」

 チラリと目だけ動かして横にいる父や兄を見るが、伏し目がちにして俯き加減。その様子から去来するのは、ただただ最初に浮かんだ『嫌な予感』のみだ。

(大使に任命するって言え!)

 胸中で希望を叫んで『嫌な予感』の払しょくを試みる。
 国王がわずかに身を乗り出した。

「末の娘、シエラを娶ってもらいたい」
「それはまことに光栄――え?」

 反射的に出た言葉の途中、ジュリウスは言われた内容を理解できずに目を丸くした。

「あ、これは大変なご無礼を。申し訳ございません、ですが陛下、お言葉をうまく聞き取れなかったものでございまして、ご用命をもう一度」
「シエラを降嫁させるゆえ、妻にせよ」

 国王はジュリウスの言葉を遮るように畳みかけた。と同時に、ジュリウスの片側の口角がへらっと引きつる。

(末の娘のシエラって、あの?)

 たらりーんと冷や汗が流れる。いや、じゅわじゅわっと脂汗が滲んでくるほうが正しい?

「知っての通り、あれはどうしようもない人見知り引っ込み思案の引きこもりで儂も困っておる。とはいえ、間もなく十八。そろそろ縁談を決めねば王家の恥となる。ゆえ、そなたにもらってほしいと思ってな」

 ここマリシュ王国では貴族は男女とも十六歳で社交界デビューを行う。婚約は何歳でもかまわないが、結婚は成人とされる十六歳を迎えてからだ。どこの家も子どもの結婚には躍起で幼い時期から相手を探し、政略結婚をさせるものだが、男子には寛容で女子には冷酷であった。つまり十七歳にもなっても嫁ぎ先の決まらない令嬢には『なんらか問題あり』という目で見られてしまうのだ。

 国王としては、王家の娘が『問題あり』と思われるなど言語道断なのだろう。

「え、あ、いや、そんな、陛下……恐れ多い」
「そう申すな。侯爵家の次男坊なら釣り合うところだ」

(いや、だからって、俺に押しつけられても困る!)

 ジュリウスは一瞬隣に立つ父と兄に顔を向けたが、二人は微動だにせず、俯き加減で伏し目がちの状態をキープしていた。

(まさか、グル?)

 そう思った矢先、国王がコホンと一つ咳ばらいをし、そして話し始めた。

「いや、まことにそなたは侯爵家の次男であり、家名を継ぐ必要はない。さすれば引きこもりのシエラも侯爵夫人の大役を担うこともなければ、責任もない。それはこちらとしてはありがたいことだ」

「しかしながら、陛下」
「それとも複数ある爵位の一つでも継ぎ、家名を立てて高位貴族の責を負うか?」
「あ、それは……」
「であればよかろう。侯爵家に迷惑はかけぬ。持参金はもちろん、必要なものはその必要に応じてこちらで用立てる。安心して身請けしてもらいたい」

(身請けとか言っちゃったよ!)

 冷や汗でも脂汗でもどっちでもいい、ジュリウスは脇から湧きだしてくるイヤな汗を感じながら項垂れた。が、ここで「はい、わかりました」とは言いたくないところだ。

「わたくしのような未熟者に、王女殿下という高貴な方はもったいなく」
「そんなことはない。シエラは七番目の娘であり、王女としてあまりデキがよくない。謙遜されてはこちらが辛い」

(お前が言う?)

 とは実際には言えず、奥歯を噛みしめる。

(父親自ら『デキが悪い』と認めている者を押しつけてくるとはどういうことだよ)

 などとは口が裂けても言えない。
 隣にいる父と兄は相変わらずだが、よく見てみれば、口角がわずかに持ちあがっていて、笑っていることがわかる。

 シエラ・ストラトスは国王と王妃の間に生まれた正当な王女だ。側室の娘でもなければ、王女として認められない婚外子でもない。そんな娘を侯爵家に迎えれば、王家とは正式な外戚関係になり、権力は絶大なものとなる。笑わずにはいられないだろう。だが――

(そうじゃないよな?)

 ジュリウスは一瞬で悟った。父も兄も、王家との外戚関係になれることを笑っているのではない。自由奔放、社交界の色男と噂されているジュリウスの首に輪をつけ、鎖に繋げられることがうれしいのだ。

(絶対結託してやがる!)

 それは確信であった。

「異論は?」

(大いにあります!)

 とはどうひっくり返しても言えないので、黙ってこうべを垂れた。

「そうか、儂の願いを聞き入れてくれるか! それはよかった! これで儂もようやっと安心して枕を高くできるというものよ。積年の懸案が解決してほっとした。いや、よかった。侯爵、礼を言うぞ」

「もったいないお言葉でございます、陛下。愚息にシエラ王女殿下をお与えいただけますること、まことに身に余る光栄。これ以上の誉れはございません。まして礼などとんでもないことでございます。このような名誉を与えられ、我がオルフォンス家一同、子々孫々までマリシュ王国王家に忠義申し上げます」

「よう言うてくれた、オルフォンス侯爵よ。見目良く、学業も武術も優秀、社交界でも人気者のジュリウスが相手なれば、シエラもうれしいことだろう。令嬢たちからさぞや妬かれるだろうが致し方ない。まぁ、アレは人見知りの引きこもりだから社交界であれこれ言われても関係はないだろうがな。まことにめでたい!」

(おっさんがなんか言ってるよ)

 ジュリウスは頭を下げながら、ぼんやりとそんなことを考えた。