生物室の掃除当番の人が入ってきて、締め切られた窓を全開にしていく。

窓を開けると、風がそよそよと吹いてカーテンを揺らした。

9月も終わりに近づくと、昼間の暑さが残ってはいるものの、最後の授業となるこの時間になるとそんな暑さを和らげる良い風が吹いてくる。

心地よい風が、私たちのプリントを少しだけ揺らしていく。

ふと勝見君のショウジョウバエの絵を思い出した。

上手とは言えないショウジョウバエ。

人のことは言えない出来の私のショウジョウバエ。

あの時間を取り戻せたら。

もう一度、あの時間に。


風がもう一度大きくカーテンを揺らすと、勝見君がこちらに顔を向けた。

目はばっちり合った。

でも、もう目はそらさない。

勝見君も、目をそらそうとしなかった。

その代わり、頬杖をついたまま、首を伸ばして私のプリントを覗き込んでくる。

私はその首の動きに合わせて、無意識にプリントを自分の方に引き寄せた。


「な、なに?」

「見せてよ」

「今回は本当にダメ。我ながらひどい」

「そうだろうね」

「うるさいなあ。勝見君だってそんなに変わんないでしょ」

「俺のも見せようか?」

「別に見せなくてもいいよ」


そんな風に強がって言ってるけど、本当は、めちゃくちゃほっとした。

前と変わらない勝見君が、そこにいたから。


「まあまあ、そう言わずに」


今度は体を机に乗り出して覗き込もうとする。

勝見君の体がぐっと近くなって、思わず体をのけぞらせた。

勝見君の顔がどんどん近くなる。

私はもう顔を上げていられなかった。

ドキドキと心臓が高鳴っていく中で、勝見君の優しい声が耳元にふわりと届いた。


「また、数学教えてあげるから」


 耳が熱くなった。
 
体がぞくりと震えて、プリントをつかむ手の感覚がどんどんなくなっていく。

そっと視線を上げると、勝見君の優しいまなざしが目の前にあった。

私をなだめるような、優しい目。

息ができないほど苦しかった。

嬉しさと安堵の気持ちが一気にあふれてきて、視界がぼやける。



「よかったあ。
  
 また、数学当てられてたんだよね」



何とか笑えた気がする。

これほど数学が当てられてよかったと思ったことはないだろう。


プリントを交換して、「せーの……」も言わず表に返す。

あの時のように。


「下手だなあ」


それは偶然なのか、そこには私たちしかいなかった。

掃除当番の人の姿も気配もない。

それでよかった。

ずっとこのままでいてほしい。

ずっとこのまま、時間が止まってしまえばいいのに。