「ペリッ。」

私はカレンダーを新しい月にする瞬間が好きだ。前の月のカレンダーを破る時の空気を切り裂くような高い音も(いさぎよ)くて心地良い。

新しい月の始まり。今月はどんなことが起きるだろうと新たな気持ちになれる。

A4サイズの3月のカレンダーはピンク色で縁取られ、水彩タッチのパステルカラーのお花が描かれていて、なんだか希望が溢れる雰囲気だ。

書かれている予定こそ卒業式のみでさっぱりとしているけれど。

一方手に持った2月のカレンダーには大学受験の日程が書き込まれていて、ただの紙なのになんだかすごく重く感じる。

───記念にとっておいた方がいいのかな・・・。

そんなことをちょっと思ったけれど、すぐに二つ折りにしてごみ箱に捨てた。


受験は無事・・・終わった。

第一志望だったミッション系の大学は駄目だったけれど、なぜかそこより偏差値が高い第二志望の大学に合格した。

私としてはおしゃれなミッション系の大学でのキャンパフライフに憧れたが、そこの大学のA入試に失敗し、B入試も受けてみたが、合格には届かなかった。

親は元々私に専門学校への進学を進めていたけれど、私が大学への進学を希望していることを伝えると、『じゃあ、ここ受けなよ。』と、私が希望するおしゃれ大学より高いレベルの大学の過去問を買ってきたのだった。

親はその大学に特に思い入れがあるわけもなく、なんとなくのイメージでその大学を勧めて来たのだと思う。私だってあの大学に行きたかった動機は同じようなものだったけれど。

模試の結果は最後まで(かんば)しくなかったのに直前の追い上げが効いたのか、結局私は親が希望していた大学に4月から通うことになった。

憧れの大学には行けなかったけれど、少しは親孝行出来たのかなと思う。


ふと、カレンダーの隣に目が行く。

そこには三年間通った女子高の制服がかかっている。

黒の上下、上は白いセーラー襟がついていて、2.5cmくらいの太さの明るめグレーのリボン、プリーツスカートの裾から数cm上にはリボンと同じ色のグレーの線が2本入っている、渋めの制服だ。

───これ着るのもあと数回か。

卒業式までは自由登校だけれど、家にいても仕方がないので基本的に毎日行くことにしていた。

受験が終わってから毎日がなんだかふわふわしていて現実なのに現実じゃないみたいで、どうしたらいいのかよくわからなかった。

燃え付き症候群───とでも言うのだろうか。

今まで学校でも家でも通学の電車でも勉強ばかりしていた。

私の下には妹が一人と弟が二人いて、高校は私立に行かせてもらったので都道府県から援助金みたいなのをもらって通っていた。

この援助金というのは親の所得とか家族の人数で審査があるらしい。

経済的にも塾に通うことは難しかったし、もちろん浪人は出来なかったから一回の受験にかけるしかなかった。

でも、私が勉強に熱中していたのは家の経済状況だけが理由じゃなくて、単に楽しかったから、むしろそれが一番の理由だ。

わからなかった英文の意味がわかるようになる、解けなかった数学の問題が解ける、知らなかった歴史の知識が増える、それは帰り道で新しい道を見つけた時のようにわくわくした。

そしてそれはちゃんと結果となって数字に表れて親も先生も喜んでくれたから嬉しかったし、少しずつ憧れの大学に近づいている気がしていた。


希望していたのとは違うゴールではあったけれど、大学合格という目標地点に到達してしまった今、私は次の目標をなくしてさまよっていた。

目の前には楽しいキャンパスライフが広がっているはずなのに、なんだかモヤがかかっているような・・・そんな気がしていた。