クールブロンの本社が入居するタワービルを見上げ、優莉は頭の先からつま先まで緊張に包まれた。店だと気が緩むわけではないが、本社勤務初日で期待よりも不安の方が大きい。

今朝の隼は昨夜のキスが幻だったのかと錯覚するほど、これまでと変わらない態度だった。挙動不審なのは優莉だけで、あまりに動揺しすぎて手が滑り、皿を一枚割ったくらいだ。

やはり隼と優莉では大人と子ども。人生経験がまったく違うのだ。
朝から大人の余裕を見せつけられ、優莉は軽く落ち込んだ。

今日から本社勤務のため、隼と行く場所は同じ。車に乗せていくと言われたが、そうはいかない。婚約者のふりをするのはマンションの中だけ。そして恋人のふりをするのは、大学時代の友人の前だけ。それ以外は他人なのだから。


「とにかく今は仕事だよね」


ひとり言を呟き、朝の光を浴びて乱反射するビルを見て〝がんばろう〟とひとり気合を入れていると、「花崎さんじゃないか」と背後から声をかけられた。振り向くと、そこには同期の門倉(かどくら)恵一(けいいち)がニカッと親しげな笑みを浮かべていた。

少し癖のある黒髪を無造作にまとめアイドル顔負けの端正な顔立ちは、同期入社の女子にも人気がある。スラッとした体躯に細身のスーツがよく似合う。