【羽衣side】


「一ノ瀬くん、どうしたの?」


なんだか今日は
一ノ瀬くんの様子がおかしい。

ぼんやり
外を見つめているかと思うと、

怖い顔をして
黒板をにらみつけていたり。

なんとなく、いつもと様子が違う。


目が合うと、
ふいっと顔を逸らしてしまうし。


「一ノ瀬くん、疲れてる? 
試合、近いの?」


「……ん」


「じゃ、これ、あげる!」


ポケットのなかに残っていた
いちごミルクキャンディを

一ノ瀬くんに渡した。


「っす」


柔らかく頬をゆるめた一ノ瀬くんが
嬉しそうに笑う。


キラキラと輝く
一ノ瀬くんの笑顔が眩しくて、

ドキリと心臓が飛び跳ねる。
  

恥ずかしくなって視線をそらすものの、

気がつけば、
一ノ瀬くんを目で追ってしまう。


次の瞬間、

一ノ瀬くんと目が合って
じっと動きを止めたところで、

ペチンと、おでこをたたかれた。


「天野、さっきから、こっち見すぎ。
……照れる」


わ、わわっ!


「あ、うん、ご、ごめんなさいっ!」


一ノ瀬くんの触れた
おでこがじんじんと熱を持つ。


心は大きく動揺するのに

一ノ瀬くんを
強く意識してしまって、

なんだか、もう、
どうしたらいいのかわからない。


すごくカッコよくてドキドキするのに、
ホッと癒されるというか!


こうして教室で
ぼんやりしている一ノ瀬くんと
一緒にいると、すごく安心する。


少し眠そうにしている一ノ瀬くんが、
居心地がよくてわたしは好きだな。


って、……え?


あ、いや、好きって、
そういう好きじゃないけど!


慌てすぎて、
ノートと手帳を
バサバサと落としてしまった。


「羽衣、ひとりでなに焦ってるの?」


「ううん、なんでもないっ」


「かなり挙動不審だよ?」


「ははっ、ごめん、ごめん!」


心配そうに振り返った朝歌に
笑顔を返した。


あの花壇での出来事以来、 

なんだか一ノ瀬くんと
普通に接することが
できなくなってしまった。


もっと落ち着かないと!


そんなことを考えながら

放課後、
図書室へ新刊の雑誌を運んでいると、

ジャージ姿で歩いている
一ノ瀬くんを見つけた。


中庭を歩く一ノ瀬くんの隣では

同じくバスケ部のジャージを着た
背の高い女の子が
ショートカットの髪を揺らして
楽しそうに笑っている。


そのふたりの姿に
チクリと胸が痛んで、

中庭からそっと視線をそらすと、

廊下の向こうから
女の子たちの声が高く響いてきた。


「ねぇ、キラくんと一緒にいる子だれ?」


「女バスの次期キャプテン。
キラくん狙いでこの学校に来たって有名」



すれ違いざま聞こえてきた会話に、
視線を落とす。


キラくんって、一ノ瀬くんのことだよね…

すごいな、
本当に一ノ瀬くんを追って
この学校に入学したひとがいるんだ……



こじんまりとした図書室の一角で、
はぁ、と小さくため息をついて、
新しく届いた雑誌や本を並べはじめる。


教室にいる時には
一ノ瀬くんを近くに感じるけれど、

一ノ瀬くんは、
学校で一番人気がある遠い存在のひと。


私なんかが、
仲良くしてもらえるようなひとじゃ
ないんだ。


現実を突きつけられたようで、
ずしりと胸が重くなる。


よし、こうなったら働こう!
邪念を消して、働こう。

そして、さっさと終わらせよう!


余計なことを考えないように、
てきぱきと、本を棚にしまっていく。


と、背伸びをして
上の棚に本を並べようとしたところで、

すっと、手のなかから本が姿を消した。


あれ?


本の行方を探して、顔を上げると………


「ぎ、ギヤーーっ!!」


「おい、なんだよ、その反応……」


背後に立つ一ノ瀬くんを
見上げて、息を止める。


し、心臓が、もう、驚きすぎて
は、破裂するっ!

だ、だって、さっき、中庭にいたのに!


「ど、ど、ど、とうして一ノ瀬くんが?
どこから、来たの?」


「図書室のドアからだけど。
空飛んで来たと思った?」


「うん」


真面目に答えると、
一ノ瀬くんがぷっと吹きだして、
コロコロと笑い出した。


わ、わわっ!
こんなふうに笑う一ノ瀬くん、
初めて見たよ!


その少しあどけない甘い笑顔に
またまた息が止まりそうになる。


ううっ、もう、
こんなのドキドキしすぎて
たまらないよっ。


「俺、空は飛べないけど、
中庭からこっちに向かう天野が見えたから」


「部活は?」


「俺らが使ってる体育館、
耐震検査に引っかかったらしくて、
今、再検査中。

とりあえず顧問が区の体育館とか、
使えるとこ探してるから
練習開始がかなり遅れることになった。

って、俺もさっき女バスの奴に聞いて
知ったんだけど」


「そ、そっか」



「で、天野は図書委員でもないのに、
こんなとこで何してんの?」


そう言って、両手を本棚についた
一ノ瀬くんに閉じ込められて、

ギュッと目をつぶる。


……近いですっ。

一ノ瀬くん、とても、近いです!


も、もう、
本当に心臓が壊れちゃうかもっ。

ドキドキする心臓の音が
全身に響いて、

なんだかもう、
恥ずかしくてたまらない。


「と、図書委員の子が、大会前で……」


すると、

頬をゆるめて優しく笑った一ノ瀬くんが
くしゃりと私の頭を撫でる。


「えらいなぁ、天野は」


そう言って
太陽の光を浴びて
眩しい笑顔をみせた一ノ瀬くんに
またまたドキリと鼓動が飛び跳ねる。


「じゃ、次の本、ちょうだい」


「え?」


本棚から体を離した一ノ瀬くんが、
大きな手のひらを私に差し出す。


「上の棚、
天野の身長じゃ届かないだろ?」


「あ……」


カゴから、一冊取り出して
一ノ瀬くんに手渡すと

一ノ瀬くんが軽々と上の棚に本を並べる。


その姿に、
太陽の光が弾んで、キラキラと輝いている。


一ノ瀬くんは手渡した本を次々と
棚に並べてくれて

あっという間に
本の整頓は終わってしまった。


「あ、ありがとう」


「いいえ、どういたしまして」


誰もいない図書室で
一ノ瀬くんの声が優しく響く。


「ここ、誰も来ないんだな」


「あは、ホントだね」


どこか、会話もぎこちなくて、

静かすぎる図書室に
私の心臓の音が響いてしまいそうで

まっすぐに一ノ瀬くんを
見ることができない。


「ここ、座る?」


「あ、うん!」


一ノ瀬くんに促されるようにして、
窓際に置かれた木の長椅子に2人で
座った。


2人で並んで長椅子に座っていると
秋の陽だまりに包まれて
心までポカポカと温まる。


すると、時計に視線を落とした
一ノ瀬くんがポツリと呟く。


「あと10分くらいか。
天野、ちょっと肩貸りてもいい?」


へ?

カタカリテモイイ?

取り外してお貸しできるものなら
いくらでも……


でも、肩は取り外せないわけで。


「ここ、あったかくて眠くなるな。
10分したら起こして」


なにがなんだか分からないまま、

一ノ瀬くんが自分の頭を
コテンと私の肩に乗せた。


えええええっ!

こ、こ、こ、このひと、
ちょっと、おかしい!


距離感!


と、考えてハッとする。


あ、枕?

私のこと、枕だと思ってる?


私、一ノ瀬くんビジョンだと
ちっちゃな枕に見えてるのかな?


ふと、この前の花壇のことを思い出す。

あのときも、「眠い」って言ってたし。


全身真っ赤に染まっていく自分を
自覚しながら、

じっと固まったまま
10分が過ぎるのを待った。


「い、一ノ瀬くん、時間だよ」


「あ、わり、ありがと」


パッと飛び上がると、
一ノ瀬くんも寝起きのせいか、
顔が赤く火照っている。


「じゃ、いってくるな」


「あ、うんっ! いってらっしゃい!」


……って、あれ?

いってらっしゃいって、おかしい?



「あ、違う、よねっ。
その、部活、頑張って、ください」


「……いいよ、いってらっしゃい、で。
なんか、頑張れそうだし」


「あ、うん。
じゃ、その。いってらっしゃい」


「ん、いってくる」


どこか不自然でぎこちない空気のなか、

ポンと軽く私の頭に手を置くと

甘い笑顔を残して
一ノ瀬くんは図書室を出て行った。


う、ううっ。

もう恥ずかしくてたまらない。



静かになった図書室で、

私の心臓だけが駆け足のまま
大きな音を打ち鳴らしていた。