「ううぅぅぅ……っ」
『どうしたんだよ、めぐみ』

 ――ファーストキスだったのに!!
 聖女の儀式で、めぐみはセレイツに口づけられた。まさか婚約をするだなんて、いったい誰が予想をしていただろうか。

 ファーストキスは好きな人と、ロマンチックな場所で。なんて、そんな夢を見ていたら子供っぽいかもしれないけれど、めぐみにとっては大事なことだったのだ。
 しかしセレイツはとっても格好良く、勇者で、王子だ。むしろ、こんな人とファーストキスを出来るなんて嬉しい! と、喜ぶ女子も多いかもしれない。

 ――でも、私は全然嬉しくない。

 そして――儀式はあれで終わりだったらしく、めぐみはすぐさま部屋へ戻りベッドの中に潜り込んだのだ。
 心配したリリナが声をかけてきたけれど、しばらく1人にしてくれと伝えてある。だから、寝室にはめぐみとメデュノアの二人きり。
 さすがに、メデュノアを部屋から追い出すわけにはいかない。

『めぐみー?』

 部屋に戻ってすぐ、シーツの中の住人となっためぐみ。
 シーツの上から、ぽんぽんとめぐみの様子を伺うように声をかけるメデュノア。その優しさに、じんと涙がまた溢れ出る。私のうさちゃん人形は、なんて優しいのだろうと。
 しかし痺れを切らしたのか、もそもそとメデュノアがシーツの中へと潜り込んできた。

「ちょ……っ」
『なんだお前、泣いてんのかよ』

 一瞬目を見開いたメデュノアだが、しかしすぐにめぐみの頭を撫でた。……人形のくせに、どうしてこうもイケメンなのか。

 セレイツは聖女であるめぐみを見る。
 けれど、メデュノアはめぐみという1人の人間を見てくれる。それがとてつもなく嬉しくて、メデュノアをぎゅーっと抱きしめる。ふかふかで、すごく落ち着くのだ。

『何かされたのか?』
「…………」
『まぁ、言いたくないなら無理にとは言わないが』

 いつもはちょっとぶっきらぼうのメデュノアの声が、今ばかりはちょっとだけ優しい。
 これだけ慰めて、しかし理由を教えてもらえないのはさぞやもやもやするだろう。心配をかけてしまったこともあり、めぐみは意を決してキスをされたことと、勝手に婚約をされたということを伝えた。

『はぁ!? なんだよ、それ。キスくらいで泣くなよな。婚約なんて、気にしなければいいだろ。断っとけ』
「ちょ、キスくらいって! 私にはすっごく大事な問題だったのに!!」

 あっけらかんとしたメデュノアの言葉に、めぐみは「ええっ」と驚く。
 まさかの言葉に、怒り心頭だ。慰めてくれるのかと思いきや、そんなこととはどういうことか!!

 ――くそう。ノアは私よりもずっと大人なのだろうか?
 キスなんて朝飯前なのだろうか。めぐみが若干いらいらして睨みつければ、『悪かったって』とメデュノアが謝った。
 しかしそれでも、やっぱりもやっとしためぐみの気持ちは晴れない。

『そんなに王子とのキスが嫌だったのか? イケメンなんだろ?』
「そう! とっても、とーっても嫌だったの!! イケメンだったら良いわけじゃないのっ!」
『……ったく。仕方ねぇなぁ』
「――んっ!?」

 頭突きされた!? 違う、メデュノアにキスされた!!
 人形の顔がめぐみの顔に押し付けられて、いったいなんだ――と、思ったがどうやらキスをされたらしいということに気づいた。
 突然の行動に避けることなんてもちろん出来なくて、めぐみはそのままメデュノアにキスをされるかたちになったのだ。だがしかし、人形。もふもふした感触が唇に触れただけで、キスとは到底言えないんじゃないだろうか……。

『ほら、これでいいだろ! 王子のことで、うじうじ悩んでるんじゃねぇよ』
「……ノア。はぁ、いいよ、もう。ありがとう」

 頭突きと見せかけたキス。
 やり方はどうであれ、メデュノアがめぐみを慰めようとしてくれたことに変わりはない。

「……うん。気にしないことにする」
『おう。それが一番だな』
「――だからノア、私に協力して!」
『おう?』

 ぐっと拳を握りしめるめぐみは、決意をした瞳でメデュノアを見た――。



 ◇ ◇ ◇

 夜も更けた頃、めぐみとメデュノアは城を抜け出して街へと出た。
 見回りをしている騎士が城の中に居るため厳しいかとも思ったが、メデュノアが上手く誘導してくれたためすんなりと出れたのだ。

 ――そう、私は逃亡した。

 聖女として、魔王の討伐について行くのはまだいい。
 家にも帰してくれるという話だったので、自分が力になって誰かを助けられるならば喜んで強力をしようと思う。

 でも、無理矢理キスをされ婚約したなどと言われるのはいただけない。
 いくらセレイツが優しくていい人でアイドル以上のイケメンで、さらに王子様で勇者だとしても――だ。

『でも、泊まる場所も金もあてはないんだろ?』
「それは……。でも、お城にいるのは嫌だったんだもん」

 やれやれとため息をつくメデュノアの言葉に、めぐみは言葉をつまらせる。

 街の入り口と城を繋ぐのは一本の道で、馬車を使わずに歩くと三〇分くらいかかった。
 昼間は馬車などが行き来しているようだが、今は深夜。馬車どころか人っ子一人おらず、誰にも見つからなかったことにめぐみはほっと胸を撫で下ろした。
 深夜のため、街にはあまり人がいない。全体的にレンガで作られた街並は、まさにファンタジーの世界を連想させた。
 少しどきどきするな、なんて。めぐみは逃亡したというのにそう思ってしまう。

「お金はなんとかして稼ぐよ。住み込みのバイトが出来ればいいんだけど……」

 料理などはあまり得意ではないが、接客くらいであればこなせるだろう。とはいえ、バイト経験もない小娘であるめぐみを雇ってもらえるのかはかなり不安だ。
 そしてふと、腕に抱えたメデュノアの存在に気付く。喋って動ける人形なんて、この世界に存在しないのではないだろうか。

「それよりも、ねぇ。ノアみたいな、しゃべる人形って存在するの?」
『あぁ。高位の魔法使いなら、使い魔として俺みたいなのをつかってる奴もいるから大丈夫だろう』
「そっか。良かった! ノアと普通に過ごせるなら、なんだか心強いよ」

 一人で街にでるのは不安だ。もちろんノアはいるのだけれど、話すことが出来るのと出来ないのではだいぶ違う。

『まぁ、とりあえず宿だ。って、この時間はどこもしまってるから――冒険者ギルドだな』
「宿には行きたいけど、お金がないってば。それに、冒険者ギルドって?」
『金はまぁ、ちょっと城からパクっといたから。とりあえず飯も寝るところも確保できるから安心しろ』
「そっか。良かった――って、それ泥棒だよ、良くないよ!?」

 ドヤ顔で、褒めろと言わんばかりのメデュノア。
 まさか城から金銭を持ってきているとは夢にも思っていなかっためぐみだ。動転しつつ、どうしようと頭を抱える。

『お前、お人好しすぎるな。無理矢理召喚されて、キスされて、婚約されたんだろ? これは慰謝料だよ、慰謝料。もらっとけばいいんだ』
「慰謝料……」

 確かにそう言われると、もらってしまって良いのではないかと思えてしまうから不思議だ。
 駄目だと思いつつも、確かにお金がないと困る。それに、めぐみを聖女として、コマのように使ったのだからこれくらいの慰謝料はあり?
 お給料だと思えばいいのではないか。と、めぐみの脳裏に甘い考えがよぎる。
 いやいやいや……。やはり駄目だと、日本人のモラルがめぐみを制止する。

『めんどくせぇ性格だなぁ』
「むぅ」
『俺のせいにしておけばいいんだよ。俺が勝手にパクってきた、お前の慰謝料だ。なんてったって、俺はお前の保護者だからな。慰謝料をもらう義務があるんだよ』
「なにそれ……」

 メデュノアの言い分に、めぐみは思わず声を上げて笑ってしまう。

 ――そうかそうか、メデュノアは私の保護者だったのか。
 むしろメデュノアが私の人形なのだから、めぐみが保護者のような気もするが……。確かにめぐみは、この世界の常識を全く知らない。そう考えれば、確かにメデュノアがめぐみの保護者に思える。

 ――ノアが私の保護者、か。
 うん。悪くないかもしれない。

「よろしくね、保護者さま」
『おう』

 めぐみの不安だった気持ちは薄れ、これから始まるメデュノアとの生活が楽しみだと。そう思った。